俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

よせばいいのに~北沢書店で買った立川健二さんの本をパラパラ見る雨の夜

 ところで、本書の版元である現代書館は、「書籍」を大事に長持ちさせることでは、わが国の出版界でも屈指の存在であろう。ぼくは、自分としては全精力を傾けた小著が、この良心的な出版社によって読者の手に渡されることを心から倖せに思うものである。その一方で、この書物が「書籍」としての生命を終え、「古書籍」や「図書」として残されたときに、これを再発見し、読み通してくださる未来の読者の方々にも、ぼくは握手の手を差し出したいと思う。

 

ポストナショナリズムの精神

ポストナショナリズムの精神

 

  十年くらい前の神保町。久々に寄った北沢書店が以前とだいぶ様子が違い、文学の洋書なんかがなかったんだっけ。洋古書はあったのか。新刊は、児童向け洋書のみとか、そんな品ぞろえになっていたのか。記憶があいまいだけれど、文学や思想の洋書を眺めて場合によっては買い込んで来ようという目算が外れて、これだけ買ってきたのだった。

 で、ソシュールから出発して独自の言語論をやっていたはずの著者が、アイルランドのことなんか書いていたりして、少し奇異にも思ったが、面白いなあ、と読んだのだった。

 この本(かひょっとしたら別の本)に、夏休みを利用してアイルランドに滞在し、政治哲学書を読んでいる、といったことが書かれていたような記憶があって、それを探してパラパラ見ていたのだが、その個所が見つからない。山口昌男さん的本の馬鹿買いほどではないが、ちょっと、洋書読みにはうらやましく思える、そんな個所。こんな優雅な大学教師もいるのか、とため息が出たが、うらやましさゆえにそんなふうに読めただけだろうか。ちゃんと読めばこの方も、この本の時点で大学を辞めておられた。

 そのかわり、上のような個所が目に入ってきて、ああ、いいことを書くものだなあ、と思った。本を出すって、そういうことなんだろうな。

 北海道はようやく桜が咲いている。昨日、地元の桜の名所、見に行ったが、三分咲きだった。で、今日も、時間が空いたので見に行ってみた。六分咲きと案内されていたが、ほぼ満開に見えた。

 老母が、今度の母の日はカーネーションはいらないからケーキというので、カーネーションとケーキを買ってこよう。

 雨が降り、晩はまだ寒いが、北海道はいまがもう夏、と思った方がいい。当地は寒くなるのも早いから、今のうちから夏を心がけて日常を組み立てればいいだろう。靴はなじんできて履きやすい。


よせばいいのに 敏いとうとハッピー&ブルー 1979