俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

横文字を読みつつ地層のことを思う~北海道でもアンモナイトの出るところは限られていて

 ただし、産業革命だけとっても、これまで、さまざまな論点をめぐって論争が展開されてきました。たとえば、産業革命は産業社会を生みだしたか否か、という問題です。労働者は熟練技能を失って工場で働いていたのか、それとも、手に職を取り戻そうとしていたのか。資本家は経済合理性にもとづいて利益を最大にするために企業を経営したのか、それとも、縁故採用や慈善事業といった非経済合理的な行動によって人びとから尊敬されるほうを重視していたのか。十九世紀は自由主義を信奉する資本家の時代だったのか、それとも、地主や貴族が支配していたのか。こういった点については、今でも定説はありません。

 

歴史学ってなんだ? (PHP新書)

歴史学ってなんだ? (PHP新書)

 

  さっき、日テレのニュースで「OriHime」という分身ロボットを開発した若い発明家のことが報じられていたので、大変興味を持って観た。もともと不登校児で、母親が申し込んだロボットコンテストで優勝したのをきっかけに発明の道に入ったらしくて、ぼくは今でもそういう人に何となく近しさを感じる。

 

 もちろん、ぼくはあるときから理系の勉強をしなくなった怠け者で、そんなこと言う資格はまったくないのだけれど、子どもの頃はラジオを分解したり顕微鏡や望遠鏡に熱中したりで、親はてっきりこの子はエンジニアか何かになると思っていた。理・数は成績も当時はよかった。

 だから中学~高校の数年のうちにあれよあれよと俗っぽくなり、大学も行き当たりばったりで選んだぼくが、親をどれだけ失望させたかわからない。これは当時専攻した経済学が駄目だという意味ではない。主体的に自分に合った進路を選ばず、消去法で入試に古文・漢文のない学科を選んだという意味で、そのときの「楽をしたい」という気持ちばかりは、とうてい褒められたことではないのだ。

 と、ここまではいつも書いている愚痴なのだけれど、いま思うのは、理系の素養も身につけることを心がけて、理系・文系を越えた視点で産業革命を研究する、といったことがもし出来たら、さぞ面白かっただろう、ということ。資本主義の勃興をきちんとたどりたいと思ったら、科学や工学の知識がまったく不要だとはとうてい思えない。

 もちろん、そんな指導をしてくれる先生は文系の学部にはめったにいないだろうから、現実には難しかろう。科学論のような科目が必修とされている大学でも、では先生がたが現実に理系・文系の枠を超えた研究を志しているかと言えば、ぼくの経験ではそうではなかったと思う。

 さらにぼく自身が、大学院で文学を専攻したといえば、なおさらそういう志向とは無縁のように思われてしまうのは仕方ないことだった。文学、というだけで頑迷な非・科学志向の徒であるかのように言われるのは、もうまったく普通のことであると言っていい。

 いま、大学という場所から限りなく遠く離れて、何を勉強しようが誰にも文句を言われない身分でいるが、さてこれをどう使うかだ。

 たまたまぼくはロシア語教師だったけれど、経済をかじり、文学をかじり、歴史には並々ならぬ興味があり、そうして振り返ると、これに理系の基礎知識を足せば、なんだかすごく面白い化学反応が起こりそうな気がしてくる。基礎でいいのだ。何もこれから大学に就職しようというのではない。おのれがある時期から抱え込んだどうしようもない欠落を、少しでも埋めたい。例えば、経済史なり文学史なりと、「地層」という概念とは、まったく無縁であり得るのか。

 ただ、化石拾いに行きたいと思って少し調べたら、北海道でもアンモナイトが採れる地域というのは限られているらしくて。どうしたらいいか。

 


Cracking a great fossil Ammonite open