俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

通訳者の役割~語学検定も悪くはないが

 正解がひとつということはあり得ないのがコミュニケーションですが、それを何とか能力として測定し、スコアという数値で示そうとしているのが英語能力検定です。ですから高得点であっても、実際のコミュニケーションで高い能力を発揮するとは限りません。英語能力試験スコアが高いと鳴り物入りで入社した新入社員が、仕事をやらせてみたらさっぱりダメで、商談がまとまらないで困った、という話もあります。逆に、スコアは高くないし、流暢とは言えない英語をしゃべるのだけれど、なぜか海外で成功する、と言う人もいます。英語能力試験は、ビジネスの場における人間力や仕事力まで測るわけではないので、限界があるのは当然です。あくまで英語力の参考に過ぎないので、過信すると失敗します。

 

本物の英語力 (講談社現代新書)

本物の英語力 (講談社現代新書)

 

  これは当然のことで、ビジネスに限らず、語学のテストは研究者としての力量ともまったく関係がないと思った方がいい。英語の読解力が高ければたいていの分野の研究に有利なのは確かだが、だからといって研究の緻密さや独創性など自体がそういう語学試験で測定されるものではない。研究は研究、語学検定は語学検定、分けて考えないといけない。

 ただ難しいのは、語学検定の高得点者がいともたやすく尊敬の眼で見られるという風潮が一部にはあり、そのとき、自分は研究者だから、と超然としていられる場合ばかりではない、ということが確かにあるからだ。

 自分の分野で確固たる地歩を確立していれば、こんなことははなから気にならない。あるいは、この本にも少し出て来るが、この種の試験は過去問題を少しやるだけで100点、200点の得点アップが図れてしまう側面があり、絶対視すべきではないということがわかっている者同士なら、語学検定のスコアで何点取れるか、そんなことは小さなことだ。

 それでもぼくの場合、やはり自分で受けてみないでいろいろ言ってるうちは、はなはだ不安だった。書店に行くと、洋書に日本風の「腰巻き」がしてあり、TOEIC何点以上向け、などと書いてある。むろんそんなものは気にしなければよいのだ。しかし、自分が果たしてその基準で何点なのかというのは、受けてみなくてはやはり分からない。

 最後にTOEICを受けたのがもう三年前。7回受けたけれど、10回受けないと分からないなという気はした。これを半強制的に受けなければならない今の若い人はたいへんだと思う半面、これはこれで知的ゲームとして面白いとも思った。英語力自体をはかる試験なのはその通りなのだけれど、テクニックもないことはないのだ。

 たとえば、パート1~4がリスニングでパート5~7までが読解だが、ある指南書では、読解のパートはパート7から解答すべし、そのあと前に戻ってパート5~6を、という風に書いてあった。パート5,6は文法問題、パート7が比較的長い物を大量に読むパートだ。パート7は読んでいるうち時間切れ、と言う人も多い。それを先にやれ、というのだ。やってみたところ、そのせいかどうかはわからないが、なるほど結果はよくなった。

 何かを読んでいたら、たとえばある翻訳会社が求人をするとき、TOEICの点数があまりに高い人はかえって警戒の目で見る、とあった。産業翻訳は、納期までにちゃんとした正確な訳を仕上げるというビジネスで、点取りゲームとは全く違う、地味で苦しい仕事だ。語学検定のスコアにあまりに固執する人は、他の面でどこか欠けたところがある、と見られるのかもしれない。

 鳥飼先生が言うのもそこだ。

その上、悪いことに、英語が重要だとなると、人間を英語力で測ることが当たり前のようになり、ネイティブ・スピーカーに限りなく近く英語を話せる人が何だか「偉い」ようになり[…]

 英語の検定試験のたぐいも、試験である以上は努力目標であり得るので、それが人間としての能力一般とまったく無縁だとまでは言えない。しかし、語学の習得と人間としての立派さの結びつきは、「パート7を先に解いたらスコアが上がった」とかの小さな話ではなかろう。

 それは、宇宙飛行士の若田光一さんが、猛烈な速さでやり取りする管制官や同僚パイロットの英語を聴きとるため、練習機操縦中のやり取りを録音して繰り返し聴いて同僚飛行士を驚かせた、とか、江戸時代のオランダ通辞だった森山栄之助が、密入国でとらえられたラナルド・マクドナルドにつききりになって当時の英和辞典の発音表記をひとつひとつ質し、超人的努力で英語を習得した、というところに出てくるように思う。

そのような努力が実って、幕末の外交で森山栄之助は大活躍をします。黒船を率いて開国を迫ったペリー提督に強い印象を残し、アメリカのハリス公使など各国の外交官の間でも評判でした。イギリスのラザフォード・オールコック公使は森山について自著で紹介し「……かれは、特筆にあたいする。彼は通訳の主任であるが、その官職名[…]が示しているよりもはるかに重要な人物だ」と高く評価しています。

 誰もがそんなめぐりあわせに恵まれるわけではないし、現代のことに置き換えるのも難しいけれども、そこまでいけば、人間として「偉い」と思う。

 

海の祭礼 (文春文庫)

海の祭礼 (文春文庫)

 
幕末の外交官森山栄之助

幕末の外交官森山栄之助

 

 

 


The Role of the Interpreter