俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

帯広の夜~文学やつれと語学やつれなど

世上、縁談窶(やつ)れといふ言葉がある。今まで何回も見合ひをして来たが、残念ながらその都度、もうちょっとのことで良縁がなかった。いつ結婚できるか気になることだ。さういつた女を、不憫に思つて言ひだした熟語だらう。女として必ずしも欠陥があるといふのではない。これに似たやうな世間的な取合はせで、大正期を経て昭和初期になると、文学青年窶れといふ新しい熟語が出来た。私が荻窪に引越して来る前後の頃に出来た言葉ではなかつたかと思ふ。 

 

 

荻窪風土記 (新潮文庫)

荻窪風土記 (新潮文庫)

 

  やつれるほどに何かをしたことなどないぼくだが、「語学やつれ」ぐらいいっぺん言われてみたいものだという気はする。

 「文学やつれ」というとちょっとやはりぼくの場合は違う気がする。大学院で専攻したのは文学に違いないけれど、どうもぼくの興味はそれとも微妙にずれている。

 これはいくら言っても通じないことが多いけれど、英語の力が半端のままというのが、自分にはどうにもすっきりしない負い目だった。勤めていたころ、退勤時間はそんなに遅い方ではなかったけれど、それでも帰宅して原書を読む余裕がないことがやりきれなかった。ロシア語の本もそうだったけど、いつも引っかかっていたのは、とっくに読めているはずの英語。そしてあのころ本棚を眺めたとき、読みたいと思う本の半分以上は英語の本だったと思う。

 過ぎたことはもういいのだけれど、この時期はいつもゴールデンウィークが待ち遠しくて、いつも外国語の本を詰めたカバンを車に乗せてこの家に帰省していた。今年は五月の一,二日を休むと九連休だそうだけれど、あのころ勤めていたところも、連休のあいだの平日は振替休日の措置が取られていたはずで(今は知らない)、それだけの休みがあれば、原書の数冊は読めるような気がいつもしていた。

 いつかの年は、たしかフォークナーの『響きと怒り』のペーパーバックがかばんに入っていたけれど、あれはどうしたんだろうか。その後まったく見つからない。

 どうやら自分は自分の英語力について完全に錯覚していたのではないか、とは今になって思うことで、連休中、体を休める片手間に英語の本が何冊も読めたりはするはずがなかった。その後、平日もうちにいるような暮らしになって初めて、英字新聞を読み、ネットラジオを聴き、眠っていたペーパーバックを引っ張り出し…というレベルにようやく至った。

 だいたい、北海道の端っこのほうに生まれて、最初から原書がスラスラ読めて、若くしてあっという間に文学や哲学の根本問題に至り着き、そこで深く苦悩する…という、ニーチェ漱石や鷗外のような「文学/哲学やつれ」の境地に至ることがありうるのかどうか、ぼくにはとうていわからない。東京に出て行った山口昌男柳瀬尚紀はまた別かもしれないが、かれらとて、どっちかというと語学青年の感じがする。

 ぼくの場合は、メールボックスにはいまだにTOEICの案内が届き、電子辞書をどれにするかで迷い、買いためた安物の原書を読めたり読めなかったりに一喜一憂し…という、そんなレベル。これは半面では刺激のない生活を送っている証拠でもあるけれど、いきなり高度なものを読もうとあせることは、今はあんまりない。むろん、金になるかならぬか別として「しごと」と思い定めたことはちゃんとあって、ときどき自分に無理を課すこともある。が、無理ばかりでも続かない。

 いつもうちにいるのにおかしいのだけれど、ゴールデンウィークが近いと思うとなんとなくウキウキするから不思議なものだ。


帯広の夜/山本ひろし&ショッカーズ(COVER)