読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

GAOのいたころ~九〇年代はまだ日なたの明るさのあった時代で

 いい天気なのに昼からマンガの原稿を描く。十五日が締め切りなのだ。ここに住みはじめてから、「マンガ家です」と名乗って何人もの人に疑いの眼差しを向けられたが、こうしてちゃんとマンガを描いて収入を得ているのだ。夕方、とりあえず描き上げた原稿を東京の出版社へファクシミリで送る。作品のでき具合を編集者にチェックしてもらうためだ。高級なファクシミリの機械を使っても、マンガ原稿の場合その繊細さまで送ることはできないので、編集者から了解をもらったあと生原稿を郵送してやらねばならない。

「マンガ家は東京に住んでいなければならない」「マンガ家は締め切りを守らない」というのは、マンガ家に対する間違ったイメージにすぎない。

「原稿はとっとと片づけ、だらだら遊ぶ」これが理想のライフスタイルだ。

 

北海道田舎移住日記 (集英社文庫)

北海道田舎移住日記 (集英社文庫)

 

  これも図書館の本。なんかこれ借りてきてすごくよかった。

 自分の場合、どこにも所属を持たないで、あらゆる機会をとらえて、勉強なり研究なりを続ける、というのも、要は浪々の身なので、そんなに楽しい事ばかりではない。心配事もいろいろと尽きない。でも、このはたさんは、北海道のへき地に移住してきて、こんなにのんびり楽しそうにやっている。この気楽さの、なんと明るいこと。もちろん、マンガ家として地歩を築いているからこそそれができるので、ぼくの場合とはまただいぶ意味合いが違うが、いいなあ。

 気付いたら、この文庫は一九九八年に出ている。もとの単行本は九五年。インターネット以前の時間が、はっきり刻印されている。

 九〇年代への懐かしさというのは確実にある。八〇年代があっけなく終わって、それでもまだ日なたの明るさのあった、そんな時代。ぼくもこの家に帰ってすぐのころ、外でぼんやりしながらポータブルラジオを聴いていたらGAOの「サヨナラ」が流れてきて、ああ、あの時代のことを忘れていたな…と、とても懐かしかった。

 過ぎてしまった時間を生き直すことは誰にもできない。それは時間が不可逆的で、人間の生も有限である以上、どうしようもないこと。でも、みんなどうしてるんだろうか。二〇年まえなんてのは、今とりたてて思い出すこともない、中途半端な過去にすぎないのか。

 ちなみに、はたさんが移住してきたのは道北の下川町。あっちも面白そうなところだ。稚内は五,六回行ったはずだけれど、行く用事もなくなってしまった。はじめて宗谷線に乗って稚内に行ったときのことが、昨日のことのようだ。途中、すごい美人がなにもない無人駅で降りていくので、すごく不思議な感じがしたのを憶えている。

 これから半年は冬を忘れていられるから、一か月の暮らしの中に、語学とか何とか、ぜーんぶ忘れる数日を持つといいんだろうな。おにぎりをもってリュック背負って、ずっと歩いてゆくとか。


GAO サヨナラ