田舎に生まれて洋書読みの達人になれるかどうかをめぐって
しかし、経専の書庫とはべつに、研究室に未整理のままおかれていた「小川文庫」をみたとき、これを使えばなんとかやっていけるという感じがして、就任を承諾した。「小川文庫」は、いまでは経済学部の蔵書全体のなかに組み込まれてしまって、全貌をとらえることは困難だが、イギリス経済思想の主流を、マーカンティリズムからケンブリッジ学派まで、ふるいものはりっぱな装丁で、よくそろえていた。ロックの『統治論』や、リカードゥ派社会主義の大部分まで、ふくまれていたのである。一宮の小川という実業家から酒井学部長が買ったものだということで、学部長としての最大の功績というべきであろう。ただ、最近になって、偶然の機会に、伊東光晴がもっている『道徳感情論』初版に、小川文庫の蔵書票がはってあるのを発見した。伊東は、大倉財閥の人の個人蔵書を買ったのだというから、もとの小川文庫はもっと幅がひろくて、そのうちから、いわゆる経済学部むきのものだけが、名古屋にきたのかもしれない。
水田教授が名古屋大学に着任する際のいきさつ。今では考えられないことだが、「いい気なもので、こちらが名古屋大学法経学部を審査するようなつもりでいた」という。今ほど研究者の予備軍の層が厚くない時代でもあったせいだろう。ともあれ、本があるかないかは文系研究者にとっては死活問題だ。いったんはその法経学部の図書館に足を踏み入れ、「これはだめだ」と思ったが、上記の「小川文庫」を見て気が変わったという、そんな話。昭和25年というから、大昔だ。
ぼくがこの本を買ったのは、大学を出てお勤めしていた時期だったらしいことはぼんやり思い出すのだが、ということは、同じ書店で山口昌男『本の神話学』を買ったのと同じころだ。ぼくが本狂いになったのは比較的遅くて、山口氏のその本の影響が大きいことは自分でもわかっていたが、同時期にこんなものも読んでいて、それで洋書がぎっしりと並んだ大きな大学図書館へのあこがれが生じた気はたしかにする。
そのあこがれを、十代のうちに持てれば、これは強い。山口氏の場合、あるいは柳瀬尚樹氏の場合、北海道のへき地からあんな洋書読みの達人が出たというのが、あり得ない奇跡のように思える、この感覚は内地の人にはちょっとわからないかもしれない。どこでそんな刺激を得るのか。
ぼくの地元にも小さな本屋はあるけれど、そこで出会える本は本当に限られていた。国鉄で何十キロ先の街へ出て比較的大きな本屋を訪ねても、そこで洋書なり、洋書への入門書なりに出会えるとは必ずしも限らない。そもそも、翻訳書で読める外国文学を原書で読むということ自体、まわりで行われていない。まして、学術書を原典にさかのぼって調べるなど、高校生ぐらいの子供には、もう想像すらつかない。だから、美幌/網走の山口氏や根室の柳瀬氏がああした洋書読みの道へすんなり入って行ったというのが、ぼくにはそんなにたやすいことだったとは思えないのだ。
地方でも、資産家が洋書をいっぱい持っている話はむかしからあるにはあって、上の「小川文庫」はその例だ。
あんまりむかしを振り返っても仕方ないが、明け方に見る夢はみんな学生だったころのことをぐるぐる回っている夢ばかりだ。今朝の夢では三つの大学に合格し、入学したらそこは高校のようなところで、そこを卒業して就職列車で各駅に一人ずつおろされてゆくのだ。降りるはずの駅を通り過ぎた、しまった…というところで目が覚めた。
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