俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

昭和二十五年四月の着任のお話

 さいわいに大学の昇格や増設が、全国で進行中だったので、そのひとつであった北海道大学からおそらく新川士郎[…]をつうじて、高島さんに依頼があり、北海道という土地がすきだったぼくは、いくつもりになった。ところが、ここでまた杉本栄一があらわれる。「だめだよ、そんなところにいったら、いなかものになる」というのである。北大だけでなく、地方の大学にたいしてたいへん失礼ないいかたではあるが、日本における研究・教育条件の地域格差は、いまでも否定できないし、とくにヨーロッパ思想史の研究にとって、図書館の貧困は致命的であった。

 杉本にそういわれてまもなく、図書館の書庫(メンガー文庫)で、早川泰正にあった。早川は経済研究所の助手だったが、研究所の事情で、やはり転出しなければならなかったのである。かれは札幌出身だったから、北大の話をすると、それじゃいくか、ということになり、経済原論担当の助教授として赴任した。ずっとあとになって、学術会議で新川にこのいきさつをはなしたら、「あなたが北大にきていたら、あのアダム・スミス研究はうまれなかったでしょうね」といわれた。あるいはそうかもしれないとおもうほど、北海道の条件はわるかった。

 

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

ある精神の軌跡 (現代教養文庫 (1144))

 

  ぼくは生粋の北海道人で、自分の生まれ故郷である北海道がいろんな面で本州からながめて水準の劣った田舎だと思われていることを、ある時期までまったく知らなかった。というか、前にも書いたような気がするが、北海道人は北海道以外の土地を日本だと思っていないふしがあって、かくいう自分も、どっちかと言えばそうなのである。

 この本には、学生時代の(戦前の)北海道旅行のことが好意的に書かれたりしていて、本人が言うとおり、著者は北海道という土地のことを決して嫌いではないと思う。その著者にして、「北海道の条件はわるかった」と書かずにはおれなかった、そのいきさつ。

 ぼくは著者の母校である一橋大学の図書館というのは利用したことがないので、まあ何とも言えないが、現在の時点でも、北大の文系図書の蔵書は、東京の大学に比べて劣っているのだろうか。昨日引いたエリアーデはもとは辺境の地ルーマニアの人で、他人がすでに行っている指摘を再度するという失態を犯さないために、ヨーロッパの大きな大学の図書館を利用しないうちは著書を刊行しない、といったことを戦後すぐの日記に書いている。上に書かれている「北海道の条件はわるかった」という事態は、それとよく似たようなことなのだろうか。

 なんにせよ、この本は本当に繰り返して読んだ。二年前の今ごろのエントリーでも触れたけれど、この人は名古屋大学に赴任し、研究室にベッドを持ち込んで寝泊まりするようになる。

昭和二十五年四月に着任して、当時は桜山にあった名古屋経済専門学校の校舎を使って、経済学史の講義をはじめたのだが、戦災都市の公務員住宅は建設がまにあわず、しばらく桜鳴寮という学生寮の一室で暮らしたのち、研究室にベッドをもちこんだ。ぼくの研究室は、ほそい道をへだててて、学生寮の南端に面していたから、そこの住人には、ぼくが夜ねているかおきているかは、すぐわかるのであった。もっとも、当時はそういうことを意識していたわけではなく、その住人のひとりであった大江志乃夫[…]が、深夜にぼくの研究室の燈火をみて、対抗意識をかきたてられたという話をきいたのは、かなりあとのことである。

 この部分。大江志乃夫教授がまだ学生だったという時代の、着任したばかりの若い助教授へのこの燃えるような対抗意識を、まるで自分のことのように感ずる時期があった。

 「着任」というのがキーワードだろうか。この時期、SNSでは「○○大学に着任しました」というあいさつが飛び交っているらしい。ぼくはもはやそういう場所からずっと遠いところにいて、むかしのこんな話を読み返している。


Purpose and Advantages of a Docking Station