Truth~長いこと捜しあぐねていた『エリアーデ日記』の一節を見つけた夜
[…]私は辺境文化に属している。そこではディレッタンティズムと即興は致命的であるといっていい。私は、劣等感に満ち、絶えず《今現在の》情報を持っていないのではないかという恐怖の下で、学者生活に入った。そのことを自覚してからというもの、その問題について書かれたほとんど全てのものを読んだと確信できないうちは原稿を印刷屋に送れなくなった。ずっと以前に知られていることを《発見》し、他人によってなされた指摘をくり返すことへの恐怖、特にルーマニアの図書館には欠けているバック・ナンバー集の内に埋もれている基本的文献を知らないでいることへの怖さ。このためにヨーロッパの大きな図書館で夏の一部を過ごさないうちは敢てテキストを公けにしないで来たのである。
これはいつ読んだのかというと、二度目の大学生活のころではないだろうか。試験期間以外は閑散としている図書館がその頃のぼくの勉強部屋兼遊び場で、語学の自主勉強のあいまに、ちょっと薄暗い開架の書棚の間をさまよい、こんな本を引き抜いては読みふけっていた。
どうもその頃、この部分を読んでいた、そしてきわめて強い印象を受けたのじゃなかっただろうか。本当にずっとあとになって、この個所を読みたいがばかりに、出版社に直接電話して本を取り寄せた(アマゾンはすでにあったはずなのに、なぜそんなことをしたのかは、よく思い出せない)。しかし、その時はこの個所をついに探せず、研究報告の話のマクラに使おうと思っていたのが使えずに終わり、なんだかよくわからない発表になってしまったのだった。
ぼくは東京の大学で研究したことがないから、この気持ちは痛いほどよくわかるし、同じようなへまを演じた経験の気まずさは、生涯消えない。ぼくも本当に、世界初の発見をしたつもりだった。が、学問の世界は広く、深い。北海道の大学の院生だったぼくごときが思いつくことは、とうにヨーロッパかアメリカの誰かが字にしているのだ。そのことを真剣に伝えようとした報告だったのだけれど、これを引用できなかったばかりに、論点がボケボケになり、ちょっと違う議論になってしまった。これ自体も、いま思い出すとなんだか気まずい。
メモ代わりに引いておく。
ぼくのやっていること、ぼくのたまに書くもの、いつか出るかもしれない本、世間の基準からすれば小さな小さなしごとにすぎない。だから、あまり気負ってもしょうがないのだけれど、T-スクエアの「Truth」が、心の中で流れっぱなしだ。
Text Counter Text: Rereadings in Russian Literary History
- 作者: Alexander Zholkovsky
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