俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

さくら(独唱)~基礎から積み上げた英語力はあるとき爆発的に開花する

 グローバル化の入り口で何が一番重要になるかといえば英語である。

 なぜ英語が重要になるのか。

 「エコノミスト」誌が世界の長期予測をまとめた『2050年の世界 英「エコノミスト」誌は予測する』[…]という本がある。このなかで非常に面白い分析をしている。

 第一にグローバル化はどのような反対があっても徹底して進んでゆくこと。第二に英語が国際語の王として君臨し続けることである。

 実は英語を母国語にしている国はアメリカ、イギリス、オーストラリアくらいなので、人口に換算すると三億九千万人くらいしかいない。これに対し、中国語は人口だけでも十三億7千万人くらいいる。

 では、中国語が王座に就くかといえば、そうではない。英語は第二公用語的に使っている人口がおおよそ十七億から十八億人くらいいる。第二公用語にしている人口が多いところに意味があるのである。

 もちろん、会議などでアメリカ人と英語でやり合おうとするのは、ひどくしんどい。逆にドイツ人やフランス人と英語で会話するのは、双方とも外国語だから意外に楽である。国際語としての英語が非常に重宝されるのである。

 

  まあ普通に言われていることだろうけど、引いておく。

 昨日は日曜で、午後六時の日本テレビ系のニュース番組を見ていたら、今では何人もの中国人の留学生が東大などの日本の一流大学に合格するという話題をやっていた。出てきた留学生の一人(女性)は、東大にこそ落ちたものの、すでに一橋大学に合格していて、そちらへ進んで経営学を学ぶんだとか。

 その女子留学生は、高校のころ一年間日本に留学していたというが、日本の高校の英語の教科書を見て「やばいと思った」という。買い物で使う会話が載っていて、それは中国では小学校で習うのだとか。

 見ていて、このニュースに接した政財界人が、またぞろ鬼の首を取ったように、とんちんかんな英語教育論を振りかざさなければいいなと思った。

 ちょっと前に書いたことだけれど、昔、アメリカ人のあんちゃんなどが日本に留学してきて、高校の英語教科書を見て「こんなのは古文。アメリカ人、こんな話し方しない」などとうそぶくということがあると、半可通はたやすく「それ見たことか。もっと実践的な会話を」という方向に流されていくという傾向があった。ここがそもそもまちがいだ。

 アメリカの政治家が国民に政策を訴えるとき、果たしてハンバーガーを注文するときのようなカジュアルな言い回ししか使わないだろうか。修辞を駆使し、ことばの限りを尽くすのではないだろうか。そして、アメリカ人だってそうした表現力ある言い回しの多くを、きちんと文法的に書かれた英語から学ぶのだ。

 初めて大学で英会話の授業を受けた時、たしか「ぼくはテニスはしません」「ぼくもさ」という会話で、この「ぼくもさ」をどう言うかをアメリカ人の先生が説明した。誰かがMe too.でしょう? とか言ったら、先生はNeither do I.という文法通りの答えを説明したので、みなびっくりしたのだった。

 誰かがAs far as I am concernedなどという言い回しは実際には使わないそうではないか、受験でそんなことを暗記させられて損をした、どうしてくれるか、と新聞か何かに投書したのを見て、有名な通訳の先生が、As far as I am concernedという言い方を使わないなどど誰に聞いたのですか、国際会議などではよく使う言い回しですよ、と書いていた。

 日本では学校はタテマエを教えるところで、世間はぜんぜん違う原理で動いている、というのは一面の真理ではある。ただ、これを安易に英語学習の世界に持ち込んで、学校英語など役立つはずがない、しゃべれる人は何かぜんぜん別の秘訣があるんでしょう? という風に考えるのは、学習者自身にとってきわめて有害だと思う。そんなんで身を入れた勉強になるはずがない。

 みながみな高価な英語塾に通えるわけではない。高校で教えてくれることは今も昔もけっして無駄ではない。会話が主体の授業は、それはそれで大事にしよう。そのほかにリーディングの授業があるだろう。そこをおろそかにしてはいけない。読解の力は、上のレベルの英語力に通ずるどこでもドアだ。いきなり難しいものは読めないけど、ここを通ることで、使える単語の数も飛躍的に増える。この先に、来日ドイツ人に桜の開花時期について英語で説明する、といった世界が開ける。

 そう、英語力は、桜のようなものだ。英語は、一挙には身につかないが、こつこつ栄養を与えて育てると、あるとき(弘前公園の桜のように)爆発的に開花する。だから、あせらず、一歩一歩。


森山直太朗 - さくら(独唱)