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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

いばらのみち~ノーベル賞級のアメリカの教授たちはおバカな質問を遮断しない

 ハーバード大学では、学生たちが授業中に辞書を引けばすぐにわかるような初歩的な質問をバンバンしている。日本人の私からすると、「ノーベル賞クラスの綺羅星のごとき先生方にそんな質問するなよ」と思ったが、教授のほうも必死で学生の質問に答えるのである。まさに「教授と学生の真剣勝負」であり、海外と日本の違いを痛切に感じた。

 

 

 

  これはよく言われることで、日本からアイヴィーリーグなどに行った多くの人は「へ、こんなレベルかよアメリカ」と思うらしい。ところが、その素朴かつ初歩的な質問をバンバン投げかける学生らが、結果としてわれわれの思いもよらぬ研究成果を続々と生んでゆく。

 最初に行った大学の同じ下宿の誰かが、「○○先生のところに質問に行くと、名前を尋ねられ、優をもらえるというけど、ただ質問に行くのではダメなんだってさ。的を射た質問をしなければらないんだ」と言っていたのを思い出す。

 学会や研究会などで素晴らしい質疑応答がなされるのは見ていて気持ちいいが、かといって、「的を射た質問をしなければ」という強迫に取りつかれるのもまたよくないのではないか。ひとを感心させるために、あらかじめ答えが内包された「いい質問」をするのがよい、というのは、参加者を委縮させ、授業・講義なり、学会・研究会なりの意義をゆがめることになってないだろうか。

 ある学者さんは、とんちんかんな質問に対しては「その質問はイレレバント(=的外れ)だな」と、まともに答えないそうだ、というのをどこで聞いた。むろん、その気持ちはわからなくもない。わからなくもないんだが、上目づかいに「いい質問」をする学生だけをかわいがるというのは、教育機関としてはまことに風通し悪く、息苦しくて、まずいんじゃないか。

 ただ、これは自分自身の苦い思い出も絡んでいる。院生のころ、一時期アルバイトしていたオンボロ学習塾は、できない子にも親切に対応するのを売りにしようとしていた。そして、それで一定の成果を上げていたようでもある。ただ、これは言うは易く実行はきわめて難しい。

 一念発起して入塾してきたやんちゃ坊主は、何でもバンバン質問する子だった。それはよい。ただ、昨日30分かけて説明した三人称単数現在の動詞の語尾sについて、翌日「先生、何でそこにはsがつくんですか」と訊かれると、かなり参る。そこをぐっとこらえて、「昨日のことを思い出そう、いいか、私、あなた、以外は三人称で…」とやるのがその塾の流儀なのだったろう。ところがぼくは、「きのう説明したじゃないか。何を聴いてたんだ」と怒鳴ってしまった。

 今ならもう少しうまく対応できただろうか。いやわからない。塾と大学も、むろん同じじゃない。ぼくのなかでは、その両者が、どうもうまく分離しないままだった気もする。だから、初歩のロシア語をしつこいほどていねいに教えるやり方にたどりついた。

 夕方ちょっと春の雪。今ぼくは教壇には立っていないけれど、振り向けば、それそれの年度末。


椿屋四重奏 - いばらのみち