石焼イモとイチゴミルク~春先から初夏にかけての北海道
大正八年四月、病気療養のために札幌に帰る菊地ゆきえに同行して吉屋信子は北海道へ渡った。二日がかりで着いた札幌からはひとりになった。さらに二十四時間かけて十勝の池田へ行った。そこには四人いる兄のうちの三番目、東京帝大農科を出た忠明がいた。忠明は大倉組系列の日本皮革へ入り、その池田製渋所長となって赴任していたのだった。
初夏は北海道のもっとも美しい季節である。吉屋信子はスズランの花のかおりを吸い、新鮮なイチゴミルクを飽きるほど食べながら、五月から七月下旬までの三か月間で『地の果てまで』という題名の六百枚の小説を完成し、原稿をていねいに木箱に詰めて発送した。
うわあ、初夏。むろんまだ冬なのだけれど、そんなこと言っているうちに、あっという間に冬の終わりと初夏がせめぎ合う季節になる。
北海道は広いから、よほどの転勤族でも、その地方のすべてに住んだことのある人など、めったにいない。まして土地に生業なり転勤のない勤めを持っていたら、となりの管内(いまでいう振興局の管轄区域)に行くことすら、めったになかったりするのだった。
東京の文士が書く北海道はどこか潤色されているような気がするけれど、イチゴミルクを飽きるほど食べるというのも、ちょっといい。
「石焼イモ」は、思い出いっぱいの曲。ヒットしたのかこれ。当時ホームセンタに行ったらこれが流れていて、切なかった。あれから幾星霜。