サヴィンコフ『テロリスト群像』の一節~Macにもどる可能性を考える春の雪の日
シヴェイツェルは、最初の一言から静かな釣り合いのとれた力、という印象を与えた。ポコチーロフやカリャーエフに著しかった熱狂的な陶酔は、彼には感じられなかった。しかしその話しぶりや黙っている時の様子、意見を述べる時の落ちつき、悠揚迫らぬ態度によって、いつのまにか信頼を起こさせるのだった。わたしとの、この最初の会見では、ほんの僅かしか、それも仕事の話しかしなかった。
「人望」とか「信用」とかの生物学的な根拠。見た目や物腰の、こざっぱりした感じのよさや落ち着き。これは理屈じゃない。生理的なものだ。ぼくはオカルトや超能力のたぐいは信じないが、それと境を接する力が人間にはあって、それを「魅力」と呼ぶ。この「魅」の字が意味するものは、多分にわれわれが「魂」を持ついきものであることに由来するだろう。「魅力」ある人に「魅かれる」のは、理屈ではどうにもならない。そういうものの例として拾っておく。
ついでに英語も。
charisma ▶noun1[mass noun] compelling attractiveness or charm that can inspire devotion in others:
2 (pl.charismata) a divinely conferred power or talent:
- 作者: Angus Stevenson
- 出版社/メーカー: Oxford University Press, USA
- 発売日: 2010/08/01
- メディア: ハードカバー
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それにしても、「テロリスト」の意味がすっかり変わっているのにやはり驚く。上掲の書では、テロとは要人や政敵の暗殺のことだ。それが今では、不特定多数の市井の人々の生命や財産に危害を加えることの意味になっている。
明け方起き出して、CNNを観ていたら、米国では新たな大統領令が発令されたとかで、さきの大統領令で入国禁止の対象国となった7か国からイラクが除かれ、しかもその他の国の出身者でもグリーンカード保持者などは対象としないらしい。アメリカにおける行政と司法の力関係を見るよい機会だから、しばらく注意してみておこう。
ところで、マッキントッシュに今さらながらもどる可能性を最近検討しつつある。デスクトップのほうのPCが使い始めてまる5年で、すこし挙動が不安な時がある。ITunesのアップデートなどがうまくいかず、再起動するとまっくらな画面にポインターだけが見える状態、ということが数回あった。ここでは責任を負えないので書かないでおくが、そういうときの修復方法をSurfaceで調べて、何とか脱した。
今すぐじゃないにしても、パソコンが10年も使えると考えるのはまったく現実的じゃないから、新調するとしたらどうするかということを考える。テレビの機能はいらない。動画の編集などもやらない。Officeは使う。大画面で動画サイトを見ることも多い。でiTunesも使っているから、Macに戻るという手もあるのじゃないか。
MacならNisus Writerという強力なワープロソフトが使えて、もしまた必要があれば、むかし作った教材がそのまま使えそうだ。もうそんな機会もすぐにはないけれど。
動画、こんなの貼っておく。