俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

さよなら好き~アダム・スミスの講義を聴くためにグラスゴウに送られたモスクワ大学の学生らがいたらしいこと

  ついにこの講義の核心的な部分が、一七五九年に『道徳的感情の諸理論』として公刊された。(戦前わが国ではこれを『道徳情操論』と訳していたが、いまでは『道徳感情論』と訳されるのが普通である。)いうまでもなくスミスの第一の主著である。道徳という名まえをもっているけれども、この書物の内容は、今日の言葉でいえば、狭い意味での倫理学ではなくて社会哲学原理というべきものである。いずれ後にその中身をもう少し詳しく説明するつもりである。ここではただ、この名著によって、学者としてのスミスの地位が定まり、その名声が全ヨーロッパにひろがったことをもう一度述べておきたい。グラスゴウの市民の中には、スミスの講義だけはききたいといって集まる聴講生が跡をたたず、設立後まもないモスクワ大学は二人の留学生を送ったほどである。この書物はスミスの生存中六版を重ね、彼は押しも押されもせぬヨーロッパ一流の学者の地位にまでのし上がっていったのだが、しかし『道徳感情論』の出版以後スミスの講義の中心は、しだいに法学や経済学のほうへ移っていった。こうして近代的な社会科学者としてのスミスの顔が、しだいに私たちの前に明らかとなるのである。 […]

 

アダム・スミス (岩波新書 青版 674)

アダム・スミス (岩波新書 青版 674)

 
アダム・スミス (1968年) (岩波新書)

アダム・スミス (1968年) (岩波新書)

 

  冬の終わり「のような」一日。アスファルトが見えて、乾いている。明日はもっと暖かい。むろん、そのあとまた真冬日が来るが、もう厳冬期は抜けたも同然だ。

 ろくに勉強しないまま二月が半分を過ぎた。勉強、というのは十月から続けている語学の総復習で、なし崩しに原書講読に移行しつつ、単語帳なんかそのままになってしまっている。それにまた取りかかろうかなと思いつつ、過ぎていった一日。

 スミスの『道徳感情論』の原書は、この家のどこかにある。これはいくら説明してもわかってはもらえないが、ロシア語教師でありながらそっち方面は完全に方向を見失っていたころ、原点に戻って英語でアダム・スミスなんか読めば、自信や落ち着きをとりもどせるのではと考えていた。けっきょく当時は、何語であれ原書を読む時間そのものがないも同然で、膨大な「積ん読」の一部となってそのままだ(「つんどく」で「積読」と変換されるが、かつて八十年代ごろには「積ん読」と、「ん」が入っていたような気がする)。

 その積ん読の一角を、どこまで切り崩せるか。語学の総復習も、それにかかわってくる。何語であれ、やさしくともいい、原語で書かれた本を読み切る、という訓練は、たいそう効く。年が明けて、英書を三冊読み、並べてみると、どれも薄い本なので自慢にも何にもならないが、とにかく今まで読めなかったものをげんにこうして読んでいるのだから、よしとしよう。伊能忠敬のことを思えば、学問するのに遅すぎるということはない。

 それにしても、モスクワ大学からスミスのもとに送られた留学生がいたというのは、何かにくわしい記録が残っていたりするのだろうか。これを読んではじめて知った。こういうことをもっと知りたいなあ。著者は注も何もつけていないが、何を読めば書いてあるのかなあ。

 (追記:これか

Десницкий, Семён Ефимович — Википедия

University of Glasgow - International students - Your country - Russia

 月曜に来た『ジャパン・タイムズ』日曜版、ようやくこれから封を切る。それと、以下の本注文してみた。英語での読書の勧めは、自分に関してはもういいのだけれど、英語教育界/英語産業ではどう扱われているのか、やはり興味はあるので。

 

大学生になったら洋書を読もう―楽しみながら英語力アップ!

大学生になったら洋書を読もう―楽しみながら英語力アップ!

 

 


さよなら好き 浜田朱里