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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

下宿屋~different thanという言い回しは古くからあるのか

"That don't hurt it none,"Jeeter said. "Don't pay no attention to it, Bessie. Just leave it be, and you'll never know it was any different than it was when you got it brand new."

 

 

Tobacco Road

Tobacco Road

 

  南部の、というか下層の農民の話す英語。一文のなかに否定辞を二度用いたり、三人称単数現在なのにdon'tが用いられたり、という中に、例のdifferent thanが出てくる。もちろん学校で習う正しい語法ではdifferent fromとなるが、different thanという言い回しを耳にすることは実に多い。で、最近の傾向なのかなくらいに思っていたのだけれど、こんな古い小説の中にそれが見いだせるので、拾っておく。

 こんな暮らしも嫌だなあ、と思いつつ読んでいるけれど、なんというか貧困と無知に魅入られたようにやせた土地を離れることのできない農夫ジーターは、どこか他人事でないリアリティで迫ってくる。なんとも痛々しい小説だ。何人もいた子供らがほとんど家を出て便りすらよこさず、二人残った子供のうちの、年端のいかぬ少年デュードは、自称宣教師の中年女ベッシ―に強引に結婚を迫られ、とうとうそうなってしまう。そのさいベッシ―はこの少年の歓心を買うため新車のフォードを買い与えるのだが、デュードはその新車を、乱暴な運転で、一日でボロボロにしてしまう。その車を見て、ジーターが口にするのが上の一節。ぶつけたといっても、まあこれくらいならたいしたことない、という、何とも大ざっぱなセリフ。

 いろいろ面白いのは、一八歳にすら達せぬ少年との結婚の許可を強引に役所に出させたり、運転免許に関する記述が一切なかったり、という、アメリカの田舎の法的側面だ。これはどこまで事実に即しているかわからないが、現実に百年八十年以上前のアメリカの田舎では(この小説は1932年の作品)、交通法規はおろか、民法までが交渉次第でどうにでもなるほど、法の執行が融通無碍だったのだろうか。むかし北海道のへき地で(全国どこでもそうだろうが)、司法書士行政書士、税理士、社会保険労務士をすべて兼務するかのような〈代書屋〉が繁盛していたことなどをどこか思わせる面がある。

 二月も半分過ぎた。週末、また寒さがやってくるらしいが、今日なんかは曇りながらわりと冬の終わりらしいおだやかな一日だった。

 もう行くことはないのに、最初に通った大学のある街のことを、毎日思い出している。ストリートビューで、なつかしい下宿街が見られるけれど、ぼくのいたのは通りの一番奥だから、そこまでグーグルカーが入って行かないのが残念。


下宿屋(森田公一とトップギャラン)cover ねちょ