俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Cat Walk~厳冬期に読む『シベリア出兵』

 最初にシベリアに出征したのは、旭川の第七師団を除くと、福岡や名古屋の、極寒とは無縁の部隊であった。そのことも、冬の作戦を困難にした。

 ロシアの秋は早い。シベリアに日本軍が展開し始めた八月は、日本の感覚では盛夏だが、ロシアでは秋の訪れの季節である。一〇月ともなると、気温も零下は珍しくない。参謀本部が編んだ、シベリア出兵の国民向け戦史は、厳冬の寒さを次のように伝える。

 一番寒い日にはマイナス四〇度から四五度になる。このくらいになると、卵・野菜・肉・酒など、水分のあるものはすべて凍る。行軍などでは米の飯が凍り、水筒の水も凍るから、パンのほかは食べることができない。また、呼吸によって出る水分で眉毛や口ひげが凍り、さらに寒くなるとアゴが凍って、話などできない。もし手袋でも脱ごうものなら、一〇分もたたないうちに手首が痺れてしまう。たとえ手袋をしていても、少しでも破れていると、その部分だけが凍傷にかかる。耳と鼻は血のめぐりが悪い。そのため、いつも凍傷にかかる。また野外の睡眠はもちろん、長時間の静止も不可能だ。

 

  語学は小休止のまま、二月のはじめの数日が過ぎる。こんなのを買ったまま読んでないので、せっせと読む。いい本が出たもので、数回読み返して頭に叩き込む必要がある。文学や語学をやってる若い人にも、強く勧めたい。

 ロシア語の教師はもちろん語学の教師だけれど、こういうことにも関心をもっている必要は常にあると思う。外国語は真空の中に静止しているわけじゃなく、絶えず生きて動いている現実の歴史の中にある。自分は語学だから、歴史は知りませんではまずい。

 これは、ここにくわしく書いても仕方ないのだが、大学勤めのころは、青二才のくせにロシア語の研究室を任されて生意気だとでも思われたのか、思わぬ方面からケンカを売られることがしょっちゅうあった。むろん、相手にしなければいいのだが、勉強していないと、思わぬ形でつけこまれ、煮え湯を飲まされることがある。歴史についてもひととおりのことはくぐっておかないと、という思いは、そうしたことにも由来する。 

 この本を今面白く読めるというのは、先日、ファヂェーエフの『壊滅』を読んだからというのもある。あれは、この本の中で「非正規軍パルチザン」とされている部隊が反革命コサックや日本兵と戦う話で、日本軍が点と点を結ぶかのように斥候をあちこちに派遣し、それらがパルチザンと鉢合わせするといったことがあったことがわかる。

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 北海道の厳冬期は今が底という感じで、まだしばらくは寒いけれど、これを過ぎれば、寒さが緩み、雪どけが来て、やがてほこりっぽい春になる。今日は、ふと思って、マル・ウォルドロンを繰り返し聴いている。何年振りだろ。去年札幌で、研究滞在先とは別の大学を訪ねて、知っている先生に挨拶に行ったら、広めのよく片付いた研究室で、これが鳴っていた。ぼくが大学の教師になる日はもうないだろうし、大学の管理強化やら経営改革やらの話ばかりきこえてきて、もはや自分にそんな職が勤まるとも思えないのだが、かつてぼくにも研究室があって、原書をいっぱいならべて、やるぞ、と意気込んでいたころのことは、毎日思い出す。

 原書は、処分せず持ち帰って、おうちにある。処分するどころか、その後却って増えて、読まれるのを待っている。政治学は専門じゃないんだけれど、洋書店の半額セールで買ったレーニンの評伝なんて、今読むとちょうどよいかもしれない。ロシア革命からは今年で一〇〇年、シベリア出兵からは来年で百年だ。ひと通りのことをおさらいするには、いい区切りではある。数日のみの滞在者など誰も気にしないが、それでも去年の研究滞在では、名刺交換した相手の方から旭川の第七師団の話を出されて、北海道人のくせに、自分はなんにも知らんなあ、と痛感した。入試科目に日本史をとった人は、よく知っていたりする。

 それと、富田武『シベリア抑留』も、いつまでも温めておけない。付せんを貼りながら、勉強させてもらう。

 

 

 

Left Alone

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The Life and Death of Lenin (English Edition)

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Life and Death of Lenin

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MAL WALDRON & JACKIE McLEAN/Cat Walk