俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

寿限無~独創性ってなんだ

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In my youth, I studied 20th-century art history. In hindsight, this was a waste of valuable time because the art historians were trying to impose a philosophical framework on what was in fact just a series of fads and fashions. To the extent that there was any logic to 20th-century modernism, it was what the critic Robert Hughes called “the shock of the new.” To stand out from rivals competing for the attention of galleries and collectors, modernist painters from the 1900s onward had to do something even more striking and controversial than their immediate predecessors. 

 “the shock of the new.”ってつまり、直近の先達がやらなかったことを敢えてやって、受け手に衝撃を与えるっていう、ね。

 ぼくは美術はまったくの素人で、子どものころ習いに行っていたそろばん塾が変わったところで、土曜になると外へデッサンに出かけるのだったが、絵の才能は自分にはないのはなんとなくわかった。

 ただ、美術と聞くと、美術畑から出てきた何人かの達者な文章の書き手のことが頭に浮かぶ。なんでああいうぶっ飛んだ文章が書けるのだろう、と羨望やら何やら感じる。

 で、この一文は、美術史を専攻し、20世紀モダニズムの勉強をしたものの、時間の無駄だった、と率直に告白するもので、その率直さがやけに新鮮だ。

 カントリーミュージックを例にとって、もしミズーリ州ブランソンの自称カントリーの天才が、ギター、ハーモニカで色恋沙汰や愛国の情を唄うという従来のカントリーの因習にとらわれず、チューバとカズ―だけの伴奏で惑星探査のことを唄うとしたら、という例えの持って行き方なんか絶妙で、要は規範を破壊して新奇さを競う“the shock of the new.”なのだ。とすると、見直しが進んでいるらしいロシア・フォルマリズムのアレなんかも、20世紀のこの思潮の副産物、といった位置づけになってくるのだろうか。

 フリー・ジャズは、アフリカ系アメリカ人のもともとの音楽性が絡んでくるから、単純にこれで割り切れない面があるが、下手な人が表面的にまねをすると、まったくこの理屈に当てはまってしまう。ただ、これは工夫しだいという面もあり、山下洋輔に言わせれば、受け手の既知パターンから程よいズレかたをしているのがいいのだ。

 朝4時ごろから起きていて、疲れたので、今日はこれくらいにしておこう。


寿限無/山下洋輔