俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Super Jet~もう一回だけ渡部昇一『発想法』の思い出

 

発想法 リソースフル人間のすすめ (講談社現代新書)

発想法 リソースフル人間のすすめ (講談社現代新書)

 

 

  渡部昇一『発想法 リソースフル人間のすすめ』は、どこで買っただろう。もう覚えていないのだが、奥付を見ると、ぼくの持っている版は昭和63年4月15日の第四刷だ。これでピンとくる。あの春だ。

 自己の再建と言うと大げさだが、ヒマしてるんだったら塾で教えてみないか、という話が急に決まって。たしか5月くらいから授業を受け持たされた記憶がある。それで本屋で使う本代くらいは何とかなって、それで買ってきた最初の数冊のうちの一冊じゃないか。北海道も当時とあまり変わらないようでいてすっかり変わってしまったが、当時の思い出がいっぱい詰まった本。今となっては少し疑問に思う箇所も散見されるが、この本が経験させてくれたのは、そうか、こういう生き方があったか、という発見だった。 

 まったく覚えていかったが、江戸川乱歩について書かれた部分がある。乱歩は比較的豊かな家に生まれながら、父が事業に失敗、東京へ出てきて「小さい活版屋」に住み込みながら早稲田大学の予科に通ったという。

そんな苦労をしながら、原書を使って創意を用いた卒業論文を書き上げた。卒業成績は三、四番というからたいしたものである。この「原書を読む」ということが、あとあとまで彼の”井戸”になるのだが、ともかく、アルバイトしながらでも、大学をかっちりといい成績で出る、というコツンと固い現実処理能力があった。

 ここの、「現実処理能力」という部分からは、ぼくは何も学ばなかったが、たぶん「原書を読む」の部分には敏感に反応したんじゃないか。外国語の本を読みながら暮らしている人たちがいる、そのことへの驚き、憧れ、いや、もっと複雑なえもいわれぬ感情。ただ、他の例(清水幾太郎など)のほうに埋もれて、この部分はしかと記憶に残らなかった。

 以下の部分はなんとなく覚えていた。

戦後は創作家としての活動はほとんどない。しかし敗戦直後の焼け野原の東京の露店街からアメリカ兵の読み捨てたペーパーバックの探偵小説を集める。以前からの蓄積と相俟って、乱歩は探偵・推理小説学の並ぶものなき大家として現れる。昭和二十六年に出た乱歩の評論集『幻影城』[…]は、戦時中の空白期の欧米の探偵小説界のことがくわしく紹介してあるので、大いに珍重されたものである。[…]

 さらに続編の『続・幻影城』では800以上の具体例を用いた”類別トリック集成”を扱っているという。

[…]乱歩がいかに英米のものを読んでいたかが知られるのであって、堂々たる学者である。この晩年の活動の”井戸”となったものは、主として語学、つまり英語と言ってよいであろう。元来、乱歩は英語を一つの井戸として用いていたのであるが、その全貌はこの時期によく表れている。

 こうした記述が当を得ているかどうかは、ここでは問わないことにしよう。タイトルに「発想法」とうたいながら、語学の話が多すぎると感ずる人も多いだろう。何しろ人工知能による翻訳が飛躍的に向上しているこんにちでは、こうした例をいくら集めてもたいした感銘を人に与えないかも知れない。ただ、インターネットもない当時、何もない田舎にいて、そういう生き方があることをこの自分は強く教えられた。そしてそれは、最初に行った大学で、一番親身にしてくれたのが語学の先生だったなあ…ということと、奇妙に符合するのだ。となると、やっぱ自分は、やるべきことを置き忘れたまま大学を出てきたんじゃないか、という念が強まるのはどうしようもなかった。今こうして書いていてよくわかる。

 当時の冬の感じとか、なんだか懐かしい。やっぱり寒くて、1月は、通勤の途中、クルマが何台も路肩に落ちている日があった。天気が荒れて帰れず、ホテルに泊まった日もあった。あのまま正社員になる話もあったけど、そうだとしても、この種の勉強へのあこがれは、どこかでぶりかえしていたはずだ。今はなくなってしまった書店で買ったはずだよこれ。 あの頃の店員さんとか、どうしてるんだろうか。↓コルトレーンは、これじゃないけど、LPを数枚、よく聴いていた。


Tadd DAMERON & John COLTRANE "Super jet" (1956)