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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

マネー~漱石「倫敦通信」を読む元旦

[…]日本にいる人は英語なら誰の使う英語でもたいがい似たもんだと思っているかもしれないが、やはり日本と同じことで、国々の方言があり身分の高下がありなどして、それはそれは千差万別である。しかし教育ある上等社会の言語はたいてい通じるから差支えないが、このロンドンのコックネーと称する言語に至っては吾輩にはとうてい分らない。これは当地の中流以下の用うる語(こと)ばで字引にないような発音をするのみならず、前の言(こと)ばとあとの言ばとの句切りが分らない、事ほどさよう早く饒舌(しゃべ)るのである。

 

  「倫敦消息」の中の一節。去年、行方昭夫氏の本で漱石の英語力のことを読み、漱石が英会話ができなかったというのは俗説で、東京帝大在学中はスコットランド人教師と英語で流ちょうにやり取りしながら指導を受けていたこと、その彼にしてからが閉口するほどロンドンの市井の英語は特殊であることを知った。

 これはロンドンに行かずとも今日ならわかることで、今はネットラジオがあり、BBCワールド・サービスの英語は少し身を入れて勉強した者にはきわめて聴き取りやすいが、おなじBBCでも地方局の地元向け番組となると、途端にわからなくなったり、ということは現実にある。

 コックニーについてはぼくも専門的には知らないが、ピーター・バラカン氏が八〇年代に書いていた記事で、単に訛っているというだけでなく、語彙がそもそも部外者にはわからない、ということを知った。たとえばmy wifeというところを、my troubleと言ったりする。というのも、trouble and strifeという言い回しがあり、そのstrifeとwifeが韻をふんでいることから、言葉遊びと連想でmy wifeがmy troubleと言い表されたりする。これなどは有名な例なのでまだいいほうで、こうした言葉遊びと連想が三つ、四つ重なっていたりすると推測の手がかりすらない。教科書の英語しか習ったことのない外国人にはわかるはずがない、というのである。

 そして、このことを書いた本というのは、その後、大学に入り直してからも、見たことがない。英語学の先生がこうしたことを語ることもなかったと思う。ずっとあとになってバーナード・ショーの『ピグマリオン』など読んでいて、こういうのを卒論に選べば、そっち方面の文献に出遭ったりするのだろうかと思った。あれは、言語学者が下層の若い娘のことばを矯正する話だからね。

 そうそう、英文専攻ではないのに、英語学とか英語史とか英語で書かれた社会言語学、言語地理学の本というのは、研究費でずいぶん買っていた。ぜんぶ勤務先に返却してしまい、もう今、手に取ることができない。あれらの本を読めば、そういうことも書いてあったのか。

 イギリスは行かずに終わるのかと思うと、やはり残念だ。30代の、血気盛んな頃に、遊びと本探しを兼ねて行けないこともなかったが、機会をつくることがとうとうできなかった。モスクワまでは行ってたんだけれど、あそこからさらに8時間ぐらいだろうか。むかしはいつでも行けるように思っていたなあ。

 年が明けた。いきなりテロのニュース。気が滅入る。

 

Swearing: A Cross-Cultural Linguistic Study

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