俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

駅~ジャパン・タイムズの日曜版というのを契約してしまった

「僕は詩が好きですけど」とアンディが言った。

「しかし、そういう学生は圧倒的少数派だ。ミーシャは、ロシア語の詩を勉強してみたいか」

「詩は難しくて理解できません。日本語でも苦手です。ロシア語ではますますついていけないと思います。まず、『プラウダ』、『イズべスチヤ』などの新聞を読むことができるロシア語力を身につけたいと思っています」と私は答えた。

「『プラウダ』や『イズベスチヤ』には、よく詩が掲載されるわよ」と元ロシア語教師は言った。[…]

 

プラハの憂鬱

プラハの憂鬱

 

  

 ここでミーシャと呼ばれているのは著者すなわち佐藤優氏。その佐藤氏は外交官だから、詩よりはロシア語の新聞を読めるロシア語力を身につけたい、と語る、そんな場面だ。で、どうも新聞というものに、ぼくもずっととりつかれている。

 ロシア語の新聞を読むのには手が回っていない、というのはどういうことかというと、7年ほど前から、一時期は英字新聞を購読し、いろいろあって一日じゅうおうちにいる身となったぼくにはこれが大いに励みで、まるで第二の大学院生生活のような勉強になったのだが、その余勢をかって、こんどはロシア語の新聞を精力的に読もう、と思った頃に研究会のお誘いなどがあって、原書を読むのにかかりきりになり、せっかく取り始めたロシア語新聞は読む習慣がつかないまま現在に至っている、ということであり、来年の購読は中止し、今年読まないまま溜まっている分は、いちど目を通してから処分しようと思っていて、しかしその作業にやはり1,2か月はかかるので、もうこれ以上余計な定期刊行物を取る余裕はいろいろな意味でないと言わざるを得ないのにもかかわらず、昨夜ふと思い立って、『ジャパン・タイムズ』はほんとに今でも数日遅れでしか配達されないのか調べていて、『ジャパン・タイムズ・オン・サンデー』という日曜版の存在を知り、つい定期購読の手続きをとってしまったのだ。ただでさえ時間の使い方がうまくいってないのに、どうすんだよ。

 研究滞在で行った札幌の大学で、コピーカードの貸し出しなぞを受けて、コピー機を使ったのだが、そのコピー機が他の人が使用してふさがっているということもたまにはあって、そういうときは教授さんたちだけが住まうフロアに上がって行って、そこにあるコピー機を使わせてもらったりしたのだが、そこに、日刊の『ジャパン・タイムズ』がおいてあり、アメリカ人教授が読んでいたりすることもあって、その何とも言えない研究機関らしい静かさと『ジャパン・タイムズ』の格調との調和が、何とも好ましくも感じたりということもあった。

 英語週刊誌は今日も90ページある合併号が届き、てめーこのやろーこの程度で参ってたまるかと読んだりもしているし、来年以降も購読してよいような気もしているのだが、『ジャパン・タイムズ』の日曜版というのが自分の要求にかなう質や内容であれば、ひょっとしてそちらでもよいかもしれない、いや、来てみないと分からないのだが。そして、これは、やはり日曜に新聞屋さんが持ってきてくれるのではなく、数日遅れの郵送なのだよな。

  都会へ行けば、書店や駅のスタンドで買えるのだろうけれど、田舎にはそういうところがないので、どうしても定期購読という形になってしまう。いつだか東京出張のとき、女子高生らが会話しているのをきいてたら、英字新聞を買って、どれか記事を読み、それをまとめて提出、といった課題が学校で出たとか、そんな話をしていたっけ。

 むろん、仕事上どうしても必要で…というわけじゃないのだぼくの場合。いざ鎌倉、にそなえて、語学は錆びつかせずに絶えず磨いていたい、ただそれだけだ。


Akina Nakamori 中森明菜 駅(台日語字幕)