私のドン~土器の偽造などが昔、あったらしいこと
横浜の考古学者、英国人ドクトル・マンローのもとにて、どこで出来たものかは知らないが、土器や土偶の偽物を柳行李[やなぎごうり]に一ぱい見たことがある。かかる偽物が国外へも若干は出ているであろう。また、あるところで古代文字らしきものが書かれているのも見たが、これはまったくの虚偽であった。
明治21年の夏、北海道旅行をした時の案内人、川上氏はその事情にくわしい。土器を愛玩する人が多く、一種の商品として、一時はさかんに取引された。なかなか利益があり、偽物がたくさん作られた。
その秘事はこうである。余市の渡辺某が主に作った。はじめは下手だったが、土質を似せるために、土器の破片をたくさん集めて、粉末にし、それをこねて作る法をはじめた。雲母や砂のまざりぐあいもよろしく、これを小さな窯にて焼いた。ずいぶん上手なものができた。
拾っておく。こっち方面はまったく専門外だが、日本の人類学の黎明期の話をこの先読むとき、この名にまた出会うかもしれない。
土器の発掘をやってる知人はいるが、彼などはこっち方面の裏話をいろいろ知っているかもしれない。土器の偽造、などというのがそんなに公然と行われていたのを知らなかったので、ちょっとおっとなった。博物館のたぐいで見るものは大丈夫なんだろうけれど、下手に小金をうならせて考古学が趣味、ということを公言していたら、ぼくも餌食になっていたかもしれない。
考古学と人類学はもちろん強く関連していて、ちょっと素人には怖い分野という気がずっとしている。そういえば、某T大の考古学の施設に学生を連れていったことが昔あって、学生よりも自分が興奮していろいろ質問したが、書かれたものではなく、人間の物理的な遺物を扱うということ自体、いろいろ難しいだろうなあ…という感じはやっぱりしたのである。
以下のものは一種の幻想文学だが、考古学と北海道の関連を描いていて、むかし興味深く読んだ。今でもキンドルで読めるというから驚きだ。
北海道という土地は不思議なもので、ぼくにとっては故郷だが、亡き父やまだ健在の老母にとっては必ずしもそうではない。必ずしもというのは、母は北海道生まれなのは確からしいのだが、育ちは外地なのだ。九州に引き揚げるも、祖父は北海道に土地があるから、と縁者の反対を押し切って戦後、また北海道にやってきた。その北海道も、言うまでもなく、いまだに本州や四国、九州のことを「内地」と呼ぶ土地柄なのである。ふだんいつも意識させられるわけでもないが、亡き父などは、いつか本州に帰ることを夢見ながら果たせなかったのは確かなのだ。
ちょっと重くなった。この話題は今日はこれまで。石野真子のベスト盤、持ってないけどどうするか。