失恋記念日~小金井良精のドイツ語
六月二六日
着いてから五日で、すぐ生理学の講義を始めましたが、学生たちの素質は、すこぶる良いようです。講義はドイツ語でやりますが、学生自身はよくドイツ語がわかるので、通訳は実際のところ、 単に助手の役目をするだけです。
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医学はドイツ人の手で日本に渡来した。日本人が五年前、医学を近代的な科学の上に移しかえることを軍医少佐ミュラー(ミュルレル)氏と軍医少尉ホフマン氏に委任したことによるのです。これがため、あらゆる手段を的確に講じたのは、ミュラー氏の功績です。
また、日本のドイツ医学は一種の伝統をもっていたのです。五〇年前、オランダ人として(それ以外には入国の方法がなかったので)医師シーボルトが来朝し、多数の門弟を出しました。
四〇年来の宿題の一つ。ようやく読んでいる。
星新一はずいぶん読んだが、これは手に取る機会がなかったか、あっても作風が他のSFショートショートと違い過ぎて読む気になれなかったか、とにかく読んでいないのだ。ずっと後になって、山口昌男のものを読んでいて、日本の人類学の黎明期の話になり、ぽっとこの名が出てきて「あっ」となったのだった。
人類学というのはいろいろ難しい学問で、八〇年代にニューアカデミズムが流行してその種のものを少し読みかじった…というぐらいでは到底わからない世界だ。たとえば、この小金井良精は明治初年に大学東校(今の東大医学部)に入り、そこを出て、ドイツでみっちり解剖学を研究した人だが、そういう人がその医学的関心の延長としてやる人類学というのと、いわゆる文化人類学/社会人類学は、やっぱり違うと言わざるを得ない。
ただ、両者はまったく別々というわけでもなく、自然科学のフィールド調査の途上で社会や習俗、言語が解明されていくということも多々あっただろうし、この書にも、小金井が北海道探査の途上でアイヌ語を話せるようになる、といったことがでてくる。
星氏は読者に親切な書き手で、資料を引くときも適宜要約、現代語訳してあって、そこで引っかかることなく一気呵成に読めてしまう読みやすさが有り難い。先日、図書館の奥まった開架に並んでいるのを引き抜いてきた意義は十分あった。いろいろ引いておきたい箇所多数だが、明日以降。上の個所は、語学徒としては大いに刺激を受ける個所だ。
大統領選から一夜明けての報道いろいろ。BBCラジオのどこかのチャンネルでは、内向きの保護主義はアメリカ自身の国益にもならないはず、と論じられている。英国のEU離脱とならべた報道も見られる。たしかに、あんなにとてつもない話者人口を抱える英語文化圏の本家というか元祖である英・米が急速に狭量になりつつあるのでは、と、その点は大いに心配だ。