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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

遥かなる山の呼び声~山林に自由は存するか

「山林の生活! と言ったばかりで僕の血は沸きます。則ち僕をして北海道を思わしめたのもこれです。僕は折り折り郊外を散歩しますが、この頃の冬の空晴れて、遠く地平線の上に国境をめぐる連山の雪を戴いて居るのを見ると、直ぐ僕の血は波立ちます。堪らなくなる![…]

 

牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

 

  この「山林の生活」の句には注がついていて、「山林に自由存す」という詩に触れ、国木田にとっては山林は社会的束縛から自由な場所として、あくまで理念的に想定されたものであると指摘されている。このことが北海道の理想化とつながり、「空知川の岸辺」へとつながっていくものらしいが、結局北海道へ入植しなかったというのは、現実の北海道が、どこかその理想化された姿とは食い違っていたからなんじゃないか。

 この「山林に自由存す」は、それこそ小学校高学年くらいのとき、読みかじったような記憶があって、なんとなく、自分の文学体験の原風景がよみがえってくるような気もするのであるけれど。

 むこう数日の天気予報に雪マークが出ていて、まだ十月だというのに、もう初冬。学会はもう一週間前の、過去のことになってしまった。会場での暖房の効き過ぎが東京から来た先生がたには驚きらしくて、「北海道だから、冬の屋内は暖かすぎるくらいなんだ」と話す人たちがいた。

 あの時は三泊し、帰ってきたけれど、ついでに四泊して資料漁り…といった余裕は、ちょっとなかった。札幌に本拠があればとっくに解決している課題もいくつかあるが、しかしそれは札幌に本拠がないからというより、長いこと時間の余裕に恵まれず、その少ない時間を有効活用するタイムマネジメントにも失敗し…ということかもしれない。田舎だから牧歌的でのんびり研究ができるなどということは今の日本にはないので、その意味でも山林に自由存すとは必ずしも言えない。

 むしょうに、古い日本文学が読みたい。


遙かなる山の呼び声 網走への列車の中で