愛が止まらない~空知川の岸辺
「冬になったら堪らんでしょうねこんな小屋にいては」
「だって開墾者は皆なこんな小屋に住んで居るのですよ。どうです辛棒ができますか」[…]
「覚悟は為て居ますが、イザとなったら随分困るでしょう」
「然し思った程でもないものです。若し冬になってどうしても辛棒が出来そうもなかったら、貴所方[あなたがた]のことだから札幌へ逃げてくれば可いですよ。どうせ冬籠[ふゆごもり]は何処でしても同じことだから」
「ハッハッハッハッハッハッそれなら初めから小作人任せにして御自分は札幌に居る方が可かろう」[…]
「そうですとも、そうですとも冬になって札幌に逃げて行くほどなら寧[いつ]そ初めから東京に居て開墾した方が可いんです。何に僕は辛棒しますよ」[…]
「そうですな、先ず雪でも降って来たら、この炉にドンドン焼火[たきび]をするんですな、薪木ならお手のものだから。それで貴所方だからウンと書籍を仕込で置いて勉強なさるんですな」
「雪が解ける時分には大学者になって現れるという趣向ですか」[…]
「空知川の岸辺」の一節。独歩が北海道に土地を求めようと、その選定のために空知の奥地へやってくる話。そこに小屋を張って「屯」している道庁の役人二人との会話ということになっている。開拓が進み、今では掘っ立て小屋に住む人などどこにもいない北海道だが、冬を前にした時期の、この憂うつさと安堵感の入り混じった不思議な感じは、今もほとんど変わりない。
国木田独歩は、小学校のとき少し読んだ記憶があるが、その後は、まだるこしいだけに感じてまったく読んでいない。図書館の書棚から抜いてきたこの本をパラパラ読んで、国木田が北海道をロシアに擬しているらしいことなど少しわかった。それにしても明治のころから札幌は、北海道の東京なのだよな。
前に書いた通り、真冬は図書館通いせず…というつもりだけれど、日本文学の未読のものがどっさりあるので、それを漁りに行くかもしれない。先日ここに引いた八木義徳なども、もう一度借りて来たいし。ただ、扉を閉じたままのロシア語書籍の本棚を、この冬は一度開けてみなくてはならないし、キンドルの中でも順番待ちをしている読み止しの本が何冊も待っている。Surfaceのなかには札幌でスキャンしてきた資料がどっさりあり、段ボール一箱分のコピーも別にある。そのすべてをこなすことができれば、大学者なんだろうが、残りの人生の冬をすべて使っても、そこまで行けるかどうか。
そうそう、今日図書館に行ったのは、↓を借りるためだった。学会が終わって、自主的な語学徒生活を再開しつつ、課題を片付けていく。
なんでもいいが、一度は北海道に戻らないと決めたことがあった。本州に渡ってしまうと、金のあるなしという意味でなく、冬の厳しさとか交通の便とか人間関係とかの面で、生活はある意味とても甘美で楽なものだった。その頃の思い出の音楽というのが、あんがいこのあたりだったりするのかもしれない。