メモリーグラス~札幌からの帰還
[…]また前期にモダニズムを、それに基づいて後期にポストモダニズムをという講義の組立自体が、学生との質疑応答のなかで支えきれないものとなり、講義題目のモダンとポストモダンを区切る一本の斜線への問いかけが始まった。「モダンの黄昏」という本書のタイトルはそれに対する遅蒔きながらの答えである。[…]
学会から帰着。昨日は動かず札幌にいたが、ろくに眠れず、明けないうちから帰る支度をしつつ起きていた。
プレシンポジウムで聴いた議論は、ペレストロイカとともに社会主義リアリズムが急にポストモダンになったわけではなく、ソ連時代からロシアのポストモダニズムは用意されていた、ところが今日のロシアでは、作家たちはソ連時代の記憶を資源として切り出してくることで作品を生み出し続けており、しかもその記憶自体が事実そのままではなく改変の契機を含んでいて…ということだったと思う。
それがどうも、自分の中では上掲の「モダン/ポストモダン」の二項図式をかたちづくる「一本の斜線」の自壊を語る一節と、なんかこう、微妙にダブるのだ。
ともあれ、今日帰ってきて、上の本を開いてみて、ああ、この一節だったか、と読み返している。
ああそうだ、昨日、夕方、狸小路の名曲喫茶へ行ってみたが、閉まっていた。日曜は閉まるのが早いのか。近くのアナログ盤(CDも少々ある)の店で訊こうと思ったが、やめといた。
バスを降りたら午後、こっちもちらちらと雪。