ふりむかないで~意志の自律性を八木義徳に教わる
『罪と罰』を読んでから数日して、室蘭の母から学校に納めるべき授業料が送られてきた。私はその金を持って新川通りの古本屋へ行き、本棚に並んだドストエフスキー全集二十四巻をひとまとめに買い、大きな風呂敷につつんだ重いやつを背中にしょって下宿に帰った。そうして、その二十四冊の本を机の横に高く積み上げて、私は自分に一つの誓いを立てた。
『このドストエフスキーを、毎日一巻ずつ必ず読破すること』
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私とドストエフスキーの”格闘”は、その翌日からはじまった。私はほとんど学校へ出ることをやめ、綿のはみ出たどてら姿で、朝から晩まで机の前にすわりつづけた。時には半徹夜という状態が幾日もつづいた。そして私は、自分に立てた誓い通り、二十四日間で二十四冊のドストエフスキー全集をついに全巻読破することができたのである。
意志という点ではまことに自律性の脆弱な私という人間にとって、これはほとんど奇蹟的な一つの事件であった、といわなければならない。
ったく、この人も札幌でドストエフスキーか。似たような話、『青い脂』の訳者がしていたが、この上掲の一節がせつないのは、母親が送ってくれた授業料を…というくだり。息子が喜んで学校に通っているものと思って、仕送りを続ける母親。
意志の自律性という部分は、ぼくもとても人に自慢できたもんじゃなく、その自分が勝手に冬学期突入を宣言して、語学の復習をやってるが、先日ここに挙げたロシア語の単語集をひたすら声に出して読み上げて十八日目になる。用事でできない日もあろうけど、年内は自由時間の大半をこれに宛てれば、少しは気が済むだろうなどと思っている。7000語収録の単語集の、半分でもやれば自分としちゃあ上出来よ。
この7000語、という部分にびびっときた、というか、ようやくびびっとくるくらいになった、というのは、ひたすら読んでいた英語のほうで、英米人のおとなが知っている単語数が16000~30000ぐらいだ、というのを知って、自分の英語がすでにその域だとは毛頭言う気はないが、ロシア語7000語、英語の半分くらい、なら一応こなしておこうか、と思えるくらいにはなったからだ。この程度でも、出発の遅かった自分の語学は少しは進歩しているので、自嘲は慎んでおく。