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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

パーマネント野ばら~映画の弁証法

「自然一般なり、人類の歴史なり、われわれ自身の知的活動なりを考えかつ反省する場合、まず最初にわれわれの見るものは、関係と反動、入替えと組合わせの無限にからみ合っている状態であり、そこでは何ひとつとして過去のままにとどまるものはなく、過去の位置にとどまるものもなく、また過去の状態のままにとどまるものもなく、何もかもが動き、変化し、生成し、過ぎ去るのである。それ故、われわれの見るものはまず最初にこの状態全体であって、そのひとつひとつの部分はまだ多少とも背景に隠されたままである。[…]

 

映画の弁証法 (角川文庫)

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  アナログ盤の山口百恵、ちょっと譲ってもらって。朝からガンガン聴いて、学会の報告の練習を少しやって、語学徒をやって、それで終わるはずの一日だったのだが、NHKのBSで映画『パーマネント野ばら』をやっていて、つり込まれて観て、ガツンとやられた。いや参った。

 どう参ったかというと、舞台は田舎の漁師町のパーマ屋[野ばら」で、夏木マリが店主をやっていて、そこに菅野美穂が離婚して娘を連れて帰ってきて、小池栄子がまたケバケバのスナック店主で…根性のきつい女たち、どうしようもないろくでなし男たちが次々に登場し、要はそういうしょーもないおじさんおばさんたちを菅野美穂がやさしく見守るほのぼの話だと思ったら、映画というものをなめてもらったら困るぜよ、と。

 じっさい映画をなめてました。今まで何度かこういうの観ましたです。フェリーニ『8½』もそう。寺山『田園に死す』もそう。ロシア映画『コーカサスの虜』もそう。あと何だったか、『八月の濡れた砂』とかもそうだったか。

 以前にもここに書いた気はするが、映画は夢に似ている。映画は時代の見る夢だというのはその通りだと思うが、夢こそは、自我が明け方に見る映画なのだ。カメラはクランクインからずっと映像を撮り続けているが、そのどの部分を見せるか、を決める監督がいる。今日は詳しく書かないが、この構造が〈無意識〉における〈検閲〉に相通じ、何ともフロイト的なのだということ。しかし映画は見せるためにこそ撮るので、結局は撮ったものをどの順序で見せるか、が監督の大きな仕事だ。ここに相矛盾する要素が並走しつつ、それらが正―反―合と大どんでん返しを織りなす弁証法が生ずる余地があるということでよろしいか諸兄。菅野美穂小池栄子も好きになった。

 

 

パーマネント野ばら [DVD]

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パーマネント野ばら (新潮文庫)

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