ジャズ来たるべきもの~独学者の冬学期
言語を語るとき、私たちは必ず、記号を「使い過ぎる」か「使い足りない」か、そのどちらかになります。「過不足なく言語記号を使う」ということは、私たちの身には起こりません。「言おうとしたこと」が声にならず、「言うつもりのなかったこと」が漏れ出てしまう。それが人間が言語を用いるときの宿命です。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/06/20
- メディア: 新書
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ふだんCDはとおして聴くことがあまりなく、一日二枚聴けば多い方だが、昨日はずっとCDを鳴らしていた。何枚聴いただろう。ローランド・カーク"We Free Kings", "Three Dimensions", "Inflated Tear"。そのあと口直しにミルトン・バナナ・トリオを聴いて、ラジオをつけっぱなしにした後、午後はビレリ・ラグレーン『ムーヴ』、キング・クリムゾン『太陽と戦慄』、晩はLightnin' Hopkins "Mojo Hand", ちあきなおみ『そっとおやすみ』。8枚もCDを聴くなんて、こんなことはめったにない。
身分のない身の上になって六年経つ。一般常識から言うと、大学勤めをやめてしまえば研究もへったくれもないということになるんだろうけど、ほそぼそと自分の勉強は続けている。制約はさまざまあるが、研究室を返上することで、悪い縁を一度断ち切って自由になった側面もある。そのことはもういいのだ。
で、そんな身の上でも、日曜は日曜らしい感じがするし、連休は気分が浮き立つ、というように、勤め人の生活リズムはどこかに残っている。で、勤め先では決してそんな呼び方はしていなかったが、一〇月になったことだし、当方も自主的に冬学期に入ることにした。今はまだ秋だが、真冬は図書館通いを減らし、語学の復習に多くの時間を充てることになるだろう。図書館に通わずとも、自宅が私設図書館兼研究室であり、課題図書が山積している。課題図書ってつまり、読んだふりして実は読んでないっていう、そうした本たち。大学ノートとペンを少し多めに買い込んで、長い冬に備えよう。
久しぶりに聴くオーネット・コールマン『ジャズ来たるべきもの』。コールマンの音楽がけっして楽理のうえで演繹的に割り出された前衛ではなく、R&Bと強く親和性を持つ、うたごころあふれるものだということを二十歳くらいのころ自然に知れたのは、ぼくにとってはよいことだった。
麦茶がまだ余っているが、飽きてきた。久々、水出しコーヒーを注文したかったのだけれど、がまん。