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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

モスクワの夏/ニューヨークの秋

 

図書館大戦争

図書館大戦争

 

  〈本をテーマにした本〉という文学的系譜はずっとある。来月、人前で話す機会を与えられ、このことも押さえておくつもりだ。↑これも必須図書の一冊として、いま泥縄で読んでいる。訳者の力量はきわめて高く、読みやすくて感嘆する。

 若い人が早くからこれを論文で取り上げていて、会ったとき、「訳さないの?」と訊ねたら、「実は別の人が…」という話だった記憶がある。血や内臓が飛び散らんばかりの暴力描写はソローキン先生の『ロマン』を思い起こさせたりもするが、なんといっても、グロモフという作家の本をめぐる読書活動を中心に組織されるらしい「読書室」という疑似家族的結社の設定が面白い。

 読書室というのは、何らかの本━━喜びの書、記憶の書、まれに忍耐の書を囲んでできた小さな組織のことだ。

 グロモフ界全体が、そのように小さな共同体から始まっていた。誰か一人が本の秘密に気付くと、その人物を中心に読書室ができた━━その人物が信頼すると決めた同志たちだ。家族持ちが読書室に入るとまもなく家族もメンバーになり、それに対しては周りも寛容だった。そして〈どんな紐にも端がある〉という諺通り、ある程度膨らむと共同体は増員をやめるのだった。

 時が経つと読書室を基礎に図書館ができた。逆の場合もあった。抗争の結果、小規模の一門が縮小されて読書室になるのだ。

 

 主人公は、叔父の死の知らせを受けて、アパートの売却のために、ウクライナからモスクワにやってくる設定。ここ10年以上ぼく自身はモスクワに行っていないが、以下の個所は、うわあ、モスクワだ! と声をあげそうになる。90年代、3年続けて、一か月だけ夏のモスクワで語学研修を受けた。というか、本を買い漁りに行ったようなものだったけど、なんか懐かしいや。

 

 明るい太陽が輝き、トロリーバスの開いた窓越しに、ライラックの花がめまいがしそうなほど香っているという、それだけの理由で私はその町が気に入った。大きな窓、ごてごてした、今にも崩れそうな壁の装飾、幅広い正面玄関のある革命前の建物が多かった。この中流商人的穏やかさを台無しにしていたのが、〈ピロシキ〉〈アイスクリーム〉あるいは〈有限会社イリーナ〉などの不細工な看板のかかる無数の売店だった。〈食品〉〈ジュース・飲み物〉〈たばこ〉などの店の名前の中にある、ロシア語にはあるがウクライナ語にはない〈ы〉の文字にとても嬉しくなった。もう九年も〈独立〉が猛威をふるっている私の住む地方[ウクライナ]では、この〈ы〉の文字がすっかり消えてしまっていた。

  私の住む地方[ウクライナ]、とした部分、本では「ウクライナ」がルビになっている。原文がどうなっているのか気になるが、原書は持っていない。これを原書まであたる必要はないし、その暇もない。

  実は、学界参加手続きで行き違いがあり(ぼくの不注意だと分かった)、何とか参加は認めてもらったが、すっかり意気阻喪して、早朝アラームで起きてがっつり勉強するのをやめていた。でも、なんとかきちんとした報告になるよう、詰めていきたい。

  夏の盛りからインディアン・サマーまでを2か月半くらいで終わらせた感じの当地。今日、いろいろ用事を済ませるが、アイスコーヒーを買いに寄った先で焼き鳥屋の屋台が出ていて、つい買ってしまう。

 明日は雨の予報。秋もあっという間で、すぐ冬が来る。冬ごもりは、ずっと開封していないロシア語の新聞をとにかくやっつけてから、捨てるなり、切り取っておくなりする。音楽は、まあCDがたくさんあるからいいやね。エラ&ルイが低く流れている。


Ella & Louis - Autumn in New York (HD)