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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Bon odori -Obon festival dance

 詩を含む、あらゆる文化活動は、近隣諸国で他の言語によって達成された成果を反映するものである。「ヨーロッパの国々が互いに切り離された状態に陥り、詩人たちが、自国語で書かれた文学以外の文学をもはや読まなくなっていたりしますと、詩は多くの国において劣化するよりほかないということです」(『文化の定義のための覚書』)。ヨーロッパ文化の一体性は、その多様性によって支えられているのである。(76頁)

 

  これはどこかで聞いたことがある議論で、しかしここには書かずにおくが、英文学なら英文学が、英語という閉じたシステムの中で単線的に発展してきたわけではないことを確認できるので、拾っておく。

 日本語でも、事情は同じだろう。二葉亭四迷がトゥルゲーネフの翻訳の過程で口語的な言文一致体を創始したりもそうだろうし、サリンジャーの翻訳が60年代から70年代にかけての日本文学に与えた影響の大きさをとってもそうだと思う。

 詩人/文学者たちが、自国語の文学以外の文学に関心を閉ざしてしまう。むろん、外国語の本を読みつつ詩作・創作もするという人がもともとそうたくさんいるはずはないので、翻訳とか、海外文化紹介とか、〈自国語の文学以外の文学〉の意味を広く取る必要はあるだろうな。それにしても、翻訳本も、研究者が熱意だけで出すようなケースは多い。

 春に札幌へ行ったときも、現代ロシアもののの訳者として知られる人が、「ぼくもこれで食べているというわけではないので…」と公の場で話すのを聞いて、やはり驚いた。筆は一本、箸は二本。とうてい自立できるほどの金銭的報酬はないのだ。なもんだから、翻訳を志す人がそのうちいなくなってしまう、という危惧の声は多い。

 お盆で、交通事情が悪い。用事がない限り、出歩かないほうがいい。地元の盆踊りは昨日だった。


Bon odori - Obon festival dance