シルキー・ソウル
「過去に対する想像力」という言葉はあまり使う人がいません。というか、多くの人はきっぱりと「歴史に『もしも』はない」と言い切ります。僕はそれに留保を求めたい。「歴史に『もしも』はない」と言う人たちは、今ここに存在する現実はすべてひとしなみに同じ歴史的必然性を持ち、同じ重量、同じ厚みを持っていると言いたいのでしょうか。でも、僕はそういう考え方には同意できない。「もしも」ある出来事が起きた場合に「それから後にまったく変わってしまったもの」と、「もしも」ある出来事が起きたとしても「それから後もあまり変わらなかったもの」があるからです。ある転轍点を過ぎて、違う線路を進んだ場合には「かわる」ものと、どの線路を進んでも「変わらないもの」がある。僕はそのどちらもが同じ「現実」だと言い切ることができません。僕はそれを「弱い現実」と「強い現実」というふうに言い分けるようにしています。(30~31ページ)
メモ代わりに。
今日も天気は良いが、30度には達せず、これで暑いなどと言ったら内地の人に怒られる。日中はちょっと暑く感じたけど、午後四時を過ぎたら、こないだも書いたように、空全体にエアコンが効いているみたいな、さわやかな涼しさ。
ガーデン用のイスとテーブル、あるといいだろうが、買うと高い。けど、3月だったか、リサイクル店で500円というプラスチックの椅子を買ってきた。それに座って過ごしている。WiFiが飛ぶ範囲で、iPod touchのラジオいろいろ。ゼロカロリーのコーラを飲んで、けっこう満足。
こないだも、こうして外でiPod touchを使って、ヒラリー・クリントンの大統領候補指名受諾演説を56分、とおして聴いた。金銭スキャンダルとか、国務長官時代に個人のメールサーバーを使っていたこととか、いろいろあるが、とにかく言語明瞭な人だ。