俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

パリの空の下

  はじめにも書いたが、高橋は本来政治家ではないし、自分でもそれは自覚していた。ことに原と比較するとまったく対照的である。原という人は、政党のことは大小軽重を問わず多大の興味と熱意をもっていた。もっとも良い教師と政治家になる第一条件は人の名前と顔を一度で覚えることとされているが、原は、党員の名前や顔はもちろんのこと、その人の履歴、その人の勢力など何もかも知っているということで、またそう務めた。したがって党員が面会にくれば、誰彼の区別なく一々あって、陳情もきけば話もするという態度であった。

 これに反して高橋は、このような事には全然興味がなく、誰が何という人か、どんな顔をしているか、ほとんど知らないというほうであった。たとえば、この当時松本重威が主税局長で終始あって話しているのに、松本が差出人の封書がくると、秘書官の津島に「こんな人は知らないな」といったりして津島をびっくりさせている。だから、高橋としては、できるだけ早く後継総裁を見つけて辞めたいと思っていたのはおそらく事実であろう。

 

高橋是清―財政家の数奇な生涯 (中公新書)

高橋是清―財政家の数奇な生涯 (中公新書)

 

  「高橋は前から、健康上の理由で──脚気と胃腸病──原に大蔵大臣を辞めたいとしばしば言っていたのであるが、原が死ぬや、逆に総理大臣にさせられ政友会総裁も引き受ける羽目になった」とあるから、よくよく政治家向きではなかった是清さん。たしかいっときは英語教師でもあって、南方熊楠らを教えたんじゃなかったか。やはり学生の顔と名前、一致しなかったのか。

 ぼくも基本、学生の顔と名前を覚えられないので、教師に向かなかったというのはある。それは一つは、出席の確認を、点呼ではなく手作りのカードでやっていたから。パソコンで手作りし、輪転機にかけて刷り、毎回感想や質問を書かせていたのが懐かしい。で、それだと学生の顔が覚えられないのだ。

 ある年、点呼でやってみたら、なるほどよかった。名前を読み上げ、手を挙げてもらう。最初の二、三回で顔が覚えられて、代返や身代わりを使う学生もいない。かえって出席カードに書かせる方式のときのほうが、ひどい不正が多かった。

 その後、マークシート方式の出席票が制度として導入されたが、今は多分そんなのすらすら使ってなくて、学生証をカードリーダーにかざす、とかそんなやりかただろう。

 先日の札幌。みんな大学の先生ばかりの中にぽつんと混じって、発表などやってきた。変なのはこっちなのだが、この人たちみんな大学の先生なのかと、なんか変な気分だった。

 この曲↓、英詞で、すごく聴き取りやすい。


Sam Cooke - Under Paris Skies (1960)