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俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Professor's office~ひきつづき明窓浄机について


 昔、ふつうの会社に勤めていたころのこと。 

 得意先係というのになってお客様のところを一軒一軒まわる仕事をしていたことがありました。というかそれはその会社の生命線みたいな仕事で、それがうまくできないのでその会社が勤まらなかった、という話でもあるのですが、ここで述べたいのはそのことではありません。
 ある時、建築関係の会社を訪問して仕事をしなければならなかったんですが、行ってみたところ、「専務は今、図面を引いている時間ですのでお客様はいっさいお取り次ぎできません」と言われたのですね。その専務さんは建築士。精密な図面を引くためには集中が必要だから、業者から若いあんちゃんが来たからといっていちいち対応していたんでは仕事になりません。そのときはどうしたかもう覚えていませんが、こういうクリエイティヴな仕事をしている人って、そういう対応をすることが社会的に許されているんだな、と強い印象を受けました。
 だから、(というのも強引な論理展開ですが)回り道を重ねて自分自身が大学という場所に職を得て、研究室を与えられたとき、自分もあの建築士さんみたいに、その小さな部屋でじっくり論文を書いたりできるのだと思いこんでいました。急な来客や電話は、学科事務みたいな職員がいてそこで処理してくれるものだと…
 世間一般の人もまた、大学の教員の仕事ぶりをそのようなものと考えているように思われますが、現実に大学で教えている人の大半は、大学で働くというのは全然そういうもんではないことをよく知っていると思います。多すぎる授業と林立する会議、学生集めから地域貢献まで多岐にわたる業務。

 ヒラの語学教員には秘書やアシスタントみたいな人がついているわけではなく、むしろそういう人がしてくれたらいいのにな~という仕事が事務方や教授さんたちからどっさりと回ってきます。授業はなるほど月から金まで一日中びっしりあるわけではないから、火曜の午前と木曜の午後を研究に当てる、という仕事の仕方はできなくもないんですが、上記「多岐にわたる業務」は、そんなのお構いなしに襲ってきます。

 冒頭に書いた建築士さん同様、こちとらも負けず劣らず集中を要求される仕事をやっている(つもり)なので、そのさなかにいきなり学生が訪ねてきたり、電話で急用を言いつけられたりするのは、無菌室に土足で踏み込まれるくらいに致命的。でもその話をしたら、理系の先生方から「俺らは現実にそういう目に遭っているんだ」、つまりそれくらい研究や教育以外の仕事が立て込んでいて、他人の研究のことなんか誰も思いやるような職場ではない、と叱られてしまうわけですね。

 だから、平日の昼間、そんな時間が確保できると思ってはダメ。人によっていろいろでしょうが、土曜か日曜に来て作業をしたり、早朝に出勤して論文を書いたり、みなさんさまざま工夫をしていました。あと、ある若い先生は、どんなに忙しい日でも、帰る前に必ず論文を一パラグラフだけ書く、というのを励行していました。大学によっては、教員は研究室に泊まり込むことができたりするんだと思います。

 前に書いたとおり、今、ぼくは大学に研究室というものをもっていません。でも、あの小さな研究室のことを今でも夢に見るのですよね。本棚の、本の配置まで、詳しく覚えています。
 それらの本は今、自宅の本棚と、自宅そばの慎ましい書庫に分けておいてあります。モスクワやサンクトペテルブルグの町を歩き回って集めた本たち。札幌のあちこちの古本屋で出会った本たち。この本も、そしてこの本も、あの研究室の本棚で、ぼくが手にとって熟読する時をずっと待っていたんだ…先日書いたとおり、「明窓浄几」を自分の心の中に構築するのは、誰も訪ねてこない(電話も滅多に鳴らない)今が好機。

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 これもポメラの中から救っておいた。5,6年前の文章。大学なんて、もう様変わりしてしまって、どんなところか見当もつかない。


Professor's Office