俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

明窓浄机

 私事ですが、現在、ぼくはどこの大学にも身分を持っておらず、よって今、ぼくには研究室というものがありません。

 でもって、「明窓浄机」というのが長いことぼくの理想でした。乱雑に散らかった机の上をきれいに片づけ、気持ちも明るく勉強に集中したい…大学に籍を置いていた10年以上の間、ずっとそれを実現しよう、今は殺人的に多忙だけれど、いつかそれにけりが付いて、そんな日が来るだろうと願い続けました。願いはかなうことがないまま時は流れ、皮肉なことに、研究室を返上した今の方が、それに近い境地にいます。
 もっとも、机を置けるような勉強部屋は自宅にはなく、普段は卓袱台の上を片づけてから、そこで外国語の新聞を読んでるだけですけどね。あと、CDやDVD、LPやVHSを置いてある部屋で新聞を読むことも多くて、そこはインターネットがないぶん、かえって集中できて落ち着きます。新聞と、電子辞書と、それからルーペと、時計、携帯電話を置く場所があれば、どこであれそこが今のぼくの「研究室/書斎」です。
 スマートフォンタブレット端末は持っていません。あれば便利なんでしょうけどね。いや、かえって気が散るだけかな。外国語読みの端くれとしては、アマゾンのKindleなるものはいつか使ってみたいですね。
 東京のビジネスマンのブログなどをみますと、時折カフェのようなところでテーブルの上を写真に撮ったものが載っています。アイスコーヒー(カフェラテ?)とビジネス手帳と、本やら資料やら。あれも一種の「研究室/書斎」でしょうね。会社で仕事中はそういう自由がなく、たまの休日も自宅じゃ家族がいて集中できないから、そういう場所で読書なり考えごとをするんでしょう。
 付け加えておきますが、教員がたっぷり自由時間を与えられて「優雅」に「研究」に「没頭」している大学(こういうコロケーション、よく使われないですか?)というのは、今は日本中探してもTVドラマやマンガの中にしかないように思います。

 大学に就職するのは大変ですが、ぼくの実感では、就職してからがまた大変。たくさん論文を書いている人は皆「百年河清を待つ」ような無い物ねだりをせず、余暇を返上し寝る時間を削って新着の原書を読んでいます。そうするだけの割り切りができるかどうか、それでも平チャラな頑健な体を持っているかどうか、そのあたりが鍵なのだと、ぼくは長い間理解できませんでした(ちなみに、論文を書くのは仕事=義務で、趣味ではありません)。
 過ぎたことは、もう仕方ありません。広辞苑で「めいそうじょうき」をひくと「明窓浄几」と出てきますね。「明るいまどと清らかな机。転じて明るく清らかな書斎」。しみじみと美しい言葉。しかしそれは具体的な場所のことではなく「心のありよう state of mind」なのではないかと、今になって気づいたりしています。

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 これもポメラの中で眠っていた文章。5、6年前に書いた。これもさらしておこう。

 そのころから少し変わったこともある。勉強部屋に机を置いた。WiFiを導入し、その部屋でもネットが使える。スマホは持っていないが、SIMフリータブレットを買って、外出時は持ち歩いている。英字新聞はやめ、『タイム』を購読しているが、毎日来る新聞を読んでいた時のほうが、たくさんの情報に接していた感じがする。Kindleは買ってみた。CNNは観ている。

 これは大先生が書いていたが、いくら実力があっても、英文科卒業でない人間が大学に英語教師の職を得るのは難しい。ぼくはもう若くないからそれは構わないのだが、第二外国語の教師をしていると「では英語もさぞできるんでしょ」と言われる場合と、「ということは英語は大して出来ないんだろう」とあつかわれる場合とがあった。後者の扱いを受けたときは非常に心外だったし、前者の扱いを受けたときも、じっさいは相手がとうぜん期待するほどできないから、たいそう心地よくなかった。今なら、どっちの扱いを受けても、そう思い悩むことはないだろう(と思いたいものだ)。


仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌