俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

The dark side of teaching English in Japan

「日本の英語教育は文法と訳読だけでけしからぬ」と思っているご年配の方は、お子さん、またはお孫さんの、英語の教科書を見せてもらってください。ご自分が使ったものから見れば、様変わりしているのに、気づかざるを得ないはずです。

 日本の英語教育は、会話に重点が置かれていて、教科書も変われば、教え方も変わり、多くの学校にはALTがいますし、音声機材も豊富です。しかも、このように変化してから、既に二〇年以上経過しています。日本全体で、もう効果が現れて、今の若者たちは、英会話に不自由しなくなったのでしょうか。

 そこで、終わりに、学校の英語教育に恨みを抱く中年以上の方に一つ質問します。親の世代とは異なる、このような会話中心の教科書で英語教育を受けた息子さん、娘さんと海外旅行に出た場合、彼らは、親のために通訳がうまくできますか? 出来ればよし、もし出来なければ、ご自分の喋れない責任を学校教育だけに負わせたのは、正しくなかったことになりませんか? (62ページ)

 

英会話不要論 (文春新書)

英会話不要論 (文春新書)

 

  自分が直接経験し、あるいは見聞した範囲で、感想をメモっておこう。

 語学教師だったころ、「学生が『高校時代より英語力が落ちた』と言っている」「ほう、それはけしからん」という風評がとつじょ学内に広まり、あまり愉快でない形で語学の担当教員が集められたことがあった。どうも、あのときの記憶が抜けない。

 記憶では、大喧嘩まではいかなかったが、「私は学生として3つの大学に在籍しましたが、『高校時代より英語力が落ちた』というのは、どこでも学生が好んで口にする極めつけの決まり文句でした。本学の学生の英語力が高校時代より落ちているというのは事実でしょうか」とぼくが反論した。

 むろんぼくは第二外国語の教員で、直接関係ない、と傍観していることもできただろう。ただ、このときの専門学科の教授さんたちの中心人物らは、学生らの「高校時代より英語力が落ちた」というぼやきに強いシンパシーを抱いていて、それはどうやら、何十年も前の自分の教養課程時代の語学の授業の印象をそのまま現在に投影して「あんな授業じゃ無理もないな」と考えている風なのがあまりにも明らかだった。となればいずれ矛先は第二外国語にも向けられる。文法と訳読ばかりでけしからんじゃないか、と。

 そのときの会議がどんな結末で、なにが決まったのか、もうあまり記憶も定かではない。昨日も書いたことだが、個々人の語学学習に最終的に責任を持つべきは教師なのか学習者じしんなのかという一点において、議論はおしまいまでかみ合わなかった、という記憶がある。

 ただ、本当に「高校時代より英語力が落ちた」者がいるのなら、それはたしかに憂慮すべきことだ。そのときは、誰かが対策を講じてくれるのを待っていないで、みずから本格的な勉強を再開すべきだ。恨んでいたって精神衛生によくないばかりで、何の解決にもならない。

 具体的には、現に授業で使っているテクストを、自分でおしまいまで読んでしまおう。そして、知らない単語をすべて暗記してしまおう。さらに、重要と思われる個所をノートに抜き書きして、繰り返し声に出して読もう。それが終わったら、先生に「教科書を自分で終えました」と申告に行こう。たいていの先生は、次に何を読めばいいか、喜んで教えてくれる。

 英語の語学入門シリーズにTeach Yourself~というタイトルのものがある通り、大学生/大人になって以降の外国語は、自らが自らの教師となって自主的に課題を課していく方法でしか身につかない。教師はどんなにがんばっても、一日の長ある先輩として学生の一歩先を照らす以上のことはできないのだ。

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 …と、昨日からぼくは何を熱くなっているのか。

 以下の動画、これを苦笑しながら聴き取れるくらいであれば、大学生/ふつうの社会人レベルとしては御の字じゃないか。


The dark side of teaching English in Japan - 英語の先生って大変