俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

夜の歌

 シモーヌ・ド・ボーヴォワールと違って私は、ゆるぎなく透明な本来性に支えられた人生を送ることなど不可能であると信じている。さらに、盲点というものは、自分自身にとってもっとも重要である領域にこそ存在するのではないかとも思っている。そのように考えたとき、『娘時代』におけるボーヴォワールサルトル表象からあきらかになるのは、自信とサルトルとの一体化という神話が、一九五八年という段階で彼女のアイデンティティ感覚のもっとも根本的な部分として機能しているということである。このサルトルとの一体化という神話の、もっとも否定的な側面のなかには、彼女がそれから自由になろうともがいているものもあるが、そうした努力をどれほど彼女がしていようと、この神話は彼女の生涯の絶対的聖域でありつづける。この神話は、大きな誇りとたくさんの喜びの源泉であるが、同時に深い痛みの原因ともなる。シモーヌ・ド・ボーヴォワールの回想録の真正の盲点は、この悲しみを彼女が認識できないという点にあるのだ。(p64-65)

 

 

ボーヴォワール―女性知識人の誕生

ボーヴォワール―女性知識人の誕生

 

 

 メモ代わりに。この論法はやっぱあれか、フロイトか。

 フロイトなんぞ詳しくないし、たいして読んだくちでもないのだが、こういうところに〈無意識〉の考え方が読み取れる、くらいには自分も(嫌な言葉だが)〈人文系〉ではあるんである。

 真夏が短いこの地方の、そのまさに真夏の盛りが、ひょっとしたら今なのかも。むろん土用の丑の日もまだだし、そのあとに八月があるが、八月になれば九月への知らず知らずの秒読みが始まっていて、九月一日になったとたんに、また雪の季節がくるね~というボヤキが始まる。

 いつものことではあるが、ほこりっぽい春に酔いしれているうちに、四月から六月までがあっという間に過ぎてしまった。


マーラー: 交響曲 第7番 ホ短調 「夜の歌」 1965 バーンスタイン / ニューヨーク・フィル

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