History of World Economy
新入生の中には伝説的な秀才が一人いるはずだった。模擬試験ではいつもダントツの一番、イノウエノボルの名は近隣の受験生の間にとどろいていて、それぞれの中学校のローカルな秀才たちに格段の差をつけていた。井上君は、その後もたいして勉強しているようにも見えなかったが、終始一番の座を明け渡すことなく卒業した。三年になったとき、『資本論』の英訳を手に入れて、一巻はすぐ読了してしまった。となると、これは将来、ひょっとすると「日本のケインズ」くらいになるんじゃないかと期待をもたせたが、お決まりのコースで東大の経済をでて、挫折もせずに、今はドイツ経済の専門家らしい。[…]
よくある話ではあるけれど、それはこういう話をそうしょっちゅう耳にする、という意味ではなく、よくあるよねそういうの、という、既視感を意味している。高校生で『資本論』を読んでしまうというのは聞かない話ではないのだ。この場合、英訳で、というのがおっとなるところで、たしかにそれはすごい気がする。
ただやはりこの場合、「お決まりのコースで東大の経済を出て」というのは、当時優勢だったらしい宇野経済学、大塚史学、丸山政治学といったものをつめこまれて知的可能性をせばめられ…という意味合いが込められているようにどうしても読めてしまう。挫折もなく、というところは慶賀すべきだが、その裏返しとして、たいした華々しい著作もなく…というところが力点のような気がしてしまうのだよな。
高校生が『資本論』を英訳で読破してしまう、というところにみなぎっている、どっちに転がっていくかわからないギラギラした知的エネルギーが、制度的な「経済学」のワクにはめられてしまうと、よくある学者出世譚で終わってしまう、という、その成り行きをこそ、ここに読み取りたい。八〇年代に、経済学部出身の学者が次々に斬新な視点のベストセラーを出したのは、そのことを物足りなく思っている学者が経済学の内部にもたくさんいたからだろう、というのはうがちすぎだろうか。
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