俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Mr.PC

  プッチーニの有名なオペラ『ラ・ボエーム』の原作は、『ボヘミア生活の情景』というアンリ・ミュルジェールの小説である。この本は十九世紀パリの陋巷に青春時代をおくる若者たちを描いたものだ。わたしはE・W・ヒューガスの英訳(一九三〇年)で読んだが、その訳書に寄せた序文に於いて、ウィンダム・ルイスは曰く、──フランスのボヘミアンアングロ・サクソンのそれとは本質的に異なる。フランス人は若いときどんなに愚行を楽しんでも、ちゃんと将来を考えていて、時が来ればしかるべく身を処す。これに対し、ロンドンで見かける英国のボヘミアンたちは、中年になっても相変わらず同じことをやっている、と。

 

ドリトル先生の英国 (文春新書)

ドリトル先生の英国 (文春新書)

 

  メモ代わりに。

 ぼくらの世界だと、「英訳で読みました」というのは、ダメじゃないか、という言われ方をすることが多いような気がするが、個人的な体験に過ぎないだろうか。

 まだ邦訳のないころのサーシャ・ソコロフについてレポートを書いたことがあって、大学院生になった時、同時に入学した女子に読んでもらったら、「ソコロフ、読んだの?!」と目を丸くして驚いていたので、「うん、英訳で」と言ったら「なーんだ」という顔をしていた。やはり原語で読まなくちゃ、と思い知らされた気がした。

 だから、ここで南條先生が、フランス小説を英訳で読んだ、と正直に書いておられるのが、ぼくには大きな発見だったりする。

 以前どなたかドイツ文学を専門とする方の本を読んでいたら、参考文献にドゥルーズの名があがっていて、でもそれはフランス語ではなくドイツ語の訳本なのだよな。こういうことってあることはあるんだな、とその時思った。

 もちろん、南條先生は英文学専攻だから、ある意味当たり前。冒頭に書いたぼくの思い出は露文のゼミの休み時間でのことで、露文の院生がロシア小説の英訳本を読んで悦に入っているようじゃダメなのだが。

 篠田一士という偉い英文の先生が、「ぼくにはドーバー海峡はない」と言って、フランスのものも原書で自在に読んでいたというのは、一般的なことではないからこそ、逸話として残っているのだろう。


Mr. PC- Dave Holland Solo