俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

蒙古放浪歌

 この国民同盟会には、近衛篤磨を中心に東亜同文会の会員、対外硬の各党議員、玄洋社大陸浪人の一派などが加わっていた。その顔ぶれは、右翼のリーダー頭山満から”東洋のルソー”と称された民権主義者の中江兆民(本名・篤介)まで幅広い。頭山満を中心とする玄洋社は右翼の政治結社として知られているが、元は民権運動のグループであり、頭山満中江兆民は民権運動や条約改正問題でも同じ立場に立っていて、生涯親しい友人だった。

 東亜同文会国民同盟会のメンバーにはアジア主義者が多かったが、明治期のアジア主義と称されるグループには、右翼と左翼の明確な区別はなかった。竹内好が『日本のアジア主義』で指摘しているように、頭山満中江兆民の時代から、それぞれの弟子の内田良平幸徳秋水(本名・伝次郎)の時代にいたって、右翼と左翼に分かれてゆく。二十世紀初頭に、内田は黒龍会のリーダーとなり、秋水は平民社社会主義と非戦論を展開してゆくのである。

 

日露戦争 ―勝利のあとの誤算      文春新書

日露戦争 ―勝利のあとの誤算 文春新書

 

  もう一〇年ちょっと前、日露戦争一〇〇周年のころの本。著者の黒岩氏はすでに病没されているそうだ。

 大筋は、日露戦争に辛勝した日本がようやく講和を勝ち取ったことを知らない大衆が、賠償金や大幅な領土割譲がないことに怒り、交番の焼き討ちなどを起こした有名な事件のてんまつを述べたものといえるが、とにかく小ネタが豊富で、情報量が多い。

 うえの部分も、ああそうだったのか…と感銘深く読んだ。これはどこかで似た話を読んだことがあるな、と思ったら、ロシアにおけるスラブ派と西欧派がそう。両者は当初同じ根を持ち、お茶を飲みながら議論が交わせる仲だったが、世代が下るにつれて互いに相いれない存在になっていった、と習った。

 そして、うえの系譜では右翼になる内田良平の、ロシアとのかかわり。

 内田良平は福岡で生まれ、幼少時代から玄洋社の国権論の雰囲気の中で育った。玄洋社三傑の一人である平岡浩太郎は、内田の叔父に当たる。内田は平岡に伴われて上京し、昼は講道館で柔道を学び、夜はロシア語を学んだ。

 日清戦争の直前には朝鮮に渡り、天佑侠という組織に加わって反清活動を行ったが、その後はロシアとの戦争に備えて、陸軍に協力しながらシベリアを横断して調査活動を行い、帰国後、対ロシア開戦論を強硬に主張するようになる。一八九八年に成立した東亜同文会にも加わり、一九〇一年には自ら主幹となって 黒龍会を結成した。

 九州という土地と、大陸とのかかわりというのは、北海道にいると、ちょっと見えてこないものがあって、画期的な北方領土論をものした教授が、そういやもとは九州の人だよなあ…などと思いついたりもする(札幌へ行くと、お見かけはすることはあるが、むろんこちらから話はできない)。

 

北方領土問題―4でも0でも、2でもなく (中公新書)

北方領土問題―4でも0でも、2でもなく (中公新書)

 

 

 ぼくも祖母が九州の人で、祖母の父に当たる退役軍人日露戦争帰りが北海道開拓を志したのも(その時は挫折)、たんに経済的理由ではないはずで、さかのぼるとそっち方面の思想的水脈に突き当たったりするんではないか。今でも九州の親せきが電話越しに発する「北海道」という言葉には、「外地」「拓殖地」「フロンティア」のコノテーションが濃厚にある。

 勉強のタネは、ほんとうに尽きない。


蒙古放浪歌  鶴田