俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

うみべのこい

すぐに撤回され、なかったことにされる発言、「資料がない」からといって否定される事実、あるいはお互いに罵倒の言葉をぶつけ合うだけの「論争」、そういうシーンを見ていると、なんだか、ことばを使うのがイヤになってくる。

 

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書)

 

  どういう文脈から抜いたのか、それはいいんだけれど、これは実感がこもっていると思った。

 言論のやりとりとしておこなわれる暴力の行使というものが世間にはたくさんあって、言葉尻をとらえ、相手の真意からいちばん遠いところを突いてこてんぱんにやっつける、などということは、どこへ行っても日常的におこなわれている。

 先日引いた中島義道さんの本でも、学力の低い学生はことばへの信頼を失っている、といったことが書かれていたけれど、それはぼく自身がそうで、もう昔のことだからいいんだけれど、勤めているあいだに、人前でごく自然に疑問を発するとか、感想を口にするとか、もっと単純に、人のジョークに笑うとか、そういうことすらいっさいしなくなった。

 ぼくにとってはいまも、自分のことばがことば自体として通用する範囲は、とてもせまい。その範囲の外へ出てしまうと、さげすみや意図的な歪曲、無視にあわずに自分のことばを相手にとどけるのに、ひどく苦労する。

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 柄にもなく外国語で報告原稿を書いて、直しをお願いしていたのが来る。

 初歩的な引用間違いがあって、その部分はやはり本国人が読むと意味が通じず、「ここ、間違いじゃないのか」と指摘があった。対格が前置格になっていたので直す。さらに結末部分に引用した英語から翻訳した文句が、どうにも意味が分からないという。

 かなり本格的に直してくださったので、それに応えるべく、書き直しも、よく考えて、きちんと意味の通る書き方を模索する。むろん、書くのは調べながらできるのでいいのだが、即興的に話すとなるとこうは行かない。まだまだ勉強が足りない。


うみべのこい