俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Don't Take Your Time

 根室の訪問は印象的であった。いまや市の経済にとって、ロシア人の来訪と四島、サハリンなどとの交流は不可欠の要素となっていた。私は返還運動の関係者の案内で、ロシア人がしばしば買い物をする電気製品の店を訪れた。各製品には、日本語といっしょにロシア語の説明書がつけられていた。商店街のところどころに掲示された案内も、ロシア語のものが目立った。かつて根室が、返還運動の原点として、一人のロシア人の訪問も許さない「聖地」であったことを思うと、今昔ひとしおの感があった。

 

北方領土交渉秘録―失われた五度の機会 (新潮文庫)

北方領土交渉秘録―失われた五度の機会 (新潮文庫)

 

 

  これが一九九八年くらいの話。ぼくも根室は何度か行って、ロシア語の表記だらけの街角を記録した写真は、今もどこかにとってある。いまは、ロシア人の人出、そんなでもないんじゃないだろうか。

 要は九〇年代なんだよな。その頃行った根室とか稚内とかの風景の記憶と、中央から流れてくる文化の記憶がごっちゃになって、この時代の思い出は独特だ。

 昨夜のNHKEテレ宮沢章夫サブカルチャー史の番組の録画を見ていた。「渋谷系」がなぜ「渋谷系」だったかというと、全国のヒットチャートにはあらわれない、渋谷のCD店の売り上げ上位にだけ出てくるようなアーティストの音楽を指してそう呼ばれるようになった、という起源が面白かった。ただ、それはやがて、英米のみならずフランスや南米のレトロなものを取り込みつつ、ファッションとも結びつき、明るくおしゃれ、という音楽全般を指すものとして概念化してゆく。「概念」だからこそ「鹿児島の渋谷系CD店」といったものも発生し得た、という指摘は面白い。

 さらに面白いのが、「渋谷系」という呼称がアーティストらにとってはかえって足かせとなる面があったこと。オリジナル・ラブ田島貴男がライヴの最中に「オレは渋谷系じゃない」と叫んだり、カジヒデキが海外のレコーディング先で「君は渋谷系をやめなければならない」とプロデューサーに言われたり、という、この用語に内在していた自己解体の契機。こうして「渋谷系」はやがて化学分解し、広義の「J-POP」のなかに発展的に解消してゆく。

 根室ではCD店に行った記憶がかすかにある。何か買った記憶はないけれど。根室渋谷系コピーバンドとか、そんなものがあったとしたら。いや、もう何もかも、過去のこと。


Roger Nichols & The Small Circle Of Friends - Don t Take Your Time.wmv