俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

お菓子と娘

それに呼応するかのように、現在では「人生は短いのだからできるだけ楽しまなくては損だ」というようなことが、老若男女を問わず公然といわれるようになった。他者危害の原則(自己決定権)と欲望自由主義とが提携したのである。もちろんわたしはそのことを百回でも千回でも肯定する。ところがそうでありながら、これを言葉として聞くとどうしても、公認された通俗原理の尊大な開き直り、ふしだらな公明正大さ、あるいは堕落した正当性とでもいうような、ある種下品な印象を受けてしまうのはどうしたことか。[…]

 

自分をつくるための読書術 (ちくま新書)

自分をつくるための読書術 (ちくま新書)

 

  「それに呼応するかのように」の「それ」とは「ひとに迷惑さえかけなければ、あとは好きなように生きてよい」という〈他者危害の原則〉をさす。それが〈欲望自由主義〉と結びついてしまった、という指摘はするどい。そしてそのこと自体は百回でも千回でも肯定すると言いつつ、それに対するどうにも否定しようのない違和感を明言し、この考えを「百一回目には否定せざるをえない」とする。いわく、ひとに迷惑をかけずに、どんな「好き」なことができるというのか。「迷惑」の禁止さえクリアできればどんな醜い恥知らずなことでもおこなってよいのか。あるいは、この考えは立派な[世間」公認のものに過ぎないのではないか。

 いや、当ブログだって、人生は短いのだからいい音楽を聴かなきゃ的なことを過去に書いてきた。そう書きながら、虚心に思い返すなら、危うい気はたしかにした。この伝で行けば、どんな目に余る欲望の肯定がおこなわれていても、他人に迷惑をかけているわけじゃなし、まあお互い様だから…と目をつぶらざるを得ないな、という、典型的な価値相対主義の深淵をのぞき込んだときの危うい感じ、だった気がする。

 ともあれ、この本、引用してるときりがない。自己の独立独行の練習問題として、よいものが多数含まれている。


お菓子と娘