俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Sad Song

  わたしたちはたしかに「ひとり」であることを惧れている。関係の外にあることを惧れ、関係からはじかれることを惧れ、なおかつ関係のなかにあって孤立する(浮きあがる)ことを惧れている。「仲間はずれ」になることは最大の恐怖であり、そのせいかだれもかれもが互助会のように群れつどい、一匹狼であるはずの無頼でさえもが組織に身を投じるのだ。そして実に鼻持ちならないことに、めでたく「世間」のメンバーとなった者はその安堵感から、こんどは「ひとり」の人間にたいして、あいつは友だちがひとりもいないなどと侮蔑する側にまわったりするのである。何が気にいらないといって、安全地帯から党派的に言葉を発するというその根性、他人を自分に同調させようとする根性ほど気にいらないものはない。

 

自分をつくるための読書術 (ちくま新書)

自分をつくるための読書術 (ちくま新書)

 

  『この俗物が!』に続いて、これ。この人のことは実はよく知らなかった。たくさん書いているな、と名前くらい知っていたのか。〈情報の場末〉で漁ってきたこの本は、1997年というからもうかれこれ20年近く前の本。買ってきたのは2006年の第5刷だから、読み継がれている本なのだな。

 この人も論争的な人らしいが、いい意味で土着的。けっして舶来の概念を空疎に振り回すといったことをせず、地に足がついた論理や言い回しで、すいすいと腑に落ちる。ちょっとうまく伝わるかどうかわからないが、仕事のできる頼れる兄貴が人生の先輩風を吹かせる説教おやじに頽落するその直前くらいの、いい感じの思惟の成熟がある。

 引用したいところがそこかしこにあるけれど、ここなんかどうだろうか。ぼくも研究室をたたんでひとりになったが、お前なんかまだまだ孤立が足りない、と図星を指されたような感があって、読みごたえがあるのだ。「だれもかれもが互助会のように群れつどい」という強烈な一発。そうなんだよな。じぶんでも、田舎の暴走族みたいにつるんで、幼稚園児だよな、と思うことは多い。

 むろん、これは厳しすぎる指摘ではあって、いつもそんなに戦闘的でいる必要があるのですか? と、やさしい人々は穏やかに問うだろうけれど。ぼくがこのことに関して著者ほど厳格になれないのは、今まで一度ならず組織から放り出され、一人だった時期に感じた、親しげに群れ集い、笑いあう人たちへの羨望があるから。「世間」のひとりとして、安全地帯から党派的にものをいうことができたら、なんと甘美だろう、と。

 北海道には春があるのだろうか。朝晩ストーブをたく冬の終わりから、一気に初夏が来て、風薫る5月の日曜。


The Roosters-Sad Song