俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

黒の舟歌

ヘブライ聖書は「嫉妬深い」神について語っている。むろん、英語のジェラスという形容詞は、ヘブライ語に含まれる多義的な含蓄を伝えることはないだろう。モーセの書や詩編には、神が自分よりも格の低い、自分が征服した古い神々に嫉妬することを示す暗示がある。バベルでの出来事は、人間の天に近づく技術と政治的組織の発達に対する神の嫉妬を暗示する。エウリピデスの暗示はさらに微妙で、さらに不穏である。神々は本質において古くからの生き残りであり混沌から解放されて間もないので、死すべき人間たる男と女たちの倫理的洗練を理解して、さもありそうだが、妬むようになる。

 

私の書かなかった本

私の書かなかった本

 

  この辺になると、やっぱり自分のキリスト教理解の浅さがネックになってぴんと来ないのではあるけれど、「死すべき人間」の「倫理的洗練」といった修辞で思い当たるのは、藤子不二雄の『モジャ公』という作品は自分は未見なのだが、そのなかに、永遠の生命をもつ異星人たちが、まさにその永遠の生命の退屈さに飽き飽きして、地球人たちを自殺させては楽しむ、といったシーンがあるとかないとかの評判をかつて知ったことで、いつだか札幌の古書店の棚にその『モジャ公』が鎮座しているという噂を耳にしたものの、ついに手に入れることなく終わっていて。キリスト教倫理に祖形をもつそんな問題の提示のされ方が、この「妬み」に関する章にやはり顔をのぞかせてはいるのだけれど、このあと、神が人間を妬むよりは人間が神を妬む方が普通、という風に話は展開していく。

 ただ、あんまりこんな問題、思いつめるのは体によろしくなく、人間だもの、同輩が立派な業績をあげたらやはり妬ましくないわけがない、と自然に考えているのがよかろう。業績を上げるそれらのひとびとの、勝者の謙虚さがまた妬ましかったりもするが、生まれついての性格もあることだし、そこまで言ったらきりがない。

 亡くなった野坂昭如氏が、秋田でリサイタルを開いたとき、地元のどなたかが秋田弁で「雪は降る」を熱唱、完全にメインアクトの野坂氏を食ってしまい、野坂氏が大いに機嫌を損ねた、というのは、妬みのありかたとしてまったく健全。その手があったかチクショー、と地団太を踏む、その程度のプライドと意気地がないと、物書きなんかやってられないだろう。

 


黒の舟唄 野坂昭如 Animation jyonasan1957

 

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