俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

久しき昔

先の安倍公房との対談で、プルースト風にいえば、文学をささえる大きな要素のひとつを、”捨てた”発言をする。三島は言う。「だから無意識というものは、絶対におれにはないのだと……。」安倍に「そんなバカな。」と、笑われる。三島は「絶対にないのだから。」と、幼児がいやいやをするように、応ずる。医学部出身の作家、安部は、ソ連医学の体睡眠と脳睡眠の話まで持ちだし、三島の理論は、「むちゃくちゃな。」と断ずる。しかし三島はもう一度、「駄目だよ。おれは無意識はないよ。」安部「そういう変な冗談を言うなよ。」三島は、もうどうでもいい、というふうに、「まあ、これでいいよ。それで、両方で喧嘩別れでおしまい。」といって対談を終える。

 

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)

 

  いろいろ面白い、というのはこういうところがあるからで、三島がフロイトを否定していたことを知る。しかしこれは、貝澤哉教授がミハイル・バフチンフロイト批判を読み解いたときのように、ことばの上でそれだけ激しく無意識の存在を否定しているところがあやしく、三島は実は無意識においてフロイト理論を大いに肯っているのだ、という読み取りが可能なようにも思える。つまり「おれは無意識はないよ」というフロイト否定のことばは、まさに精神分析的な意味での”抵抗”なのだというぐあいに。ただ、こう読み解くのはあまりに図式的にきれい過ぎで、明快に読み解けるときにはむしろ警戒が必要だろう。

 あとのほうには、三島が得意のドイツ語でユングを読みこなし、元型=アーキタイプという訳語が定着する以前から「祖型=アーケタイプ」という用語を使っていたことが出てきたりもする。いろいろ面白い。

 タブレットをパソコンのサブディスプレイにする方法がある、と知って、いろいろやってみるが、アプリを三つ試して、結局できないのであきらめた。

 


久しき昔