俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

故郷の廃家

 ぼくが、「こういう時は、なんか音楽が、BGMがほしいですね」というと、三島は、「高倉健の『網走番外地』みたいなやつね」という。ぼくは会話を途切らせないため、「あれ、三島さんは鶴田浩二の方が好きだったんじゃないですか。」と、まぜっかえすと、「うん、歳のことを考えると、学生みたいにストレートに健さんといえなくなっちゃった。でも本当は高倉健のほうが好きなんだ」

 この高倉健の「網走番外地」という歌が、BGMにいいという会話は、一年後の決行の日に、本当に実行された。同じ首都高速を走る同じ車のなかで、三島は盾の会隊員四人と、その演歌を合唱した。[…]

 

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)

平凡パンチの三島由紀夫 (新潮文庫)

 

  今頃はロシア語の本を鋭意やっつけているはずだったが、脱線して英語の本に没入し、それにも疲れて、勉強の飽きを埋めようと、となりまちの図書館で五冊借りてきた。これは、たしか『週刊読書人』だったかを定期購読していた時、連載されていたのをおぼえている。本になっていたのだな。

 一九六〇年代後期の三島の言動を、担当記者だった『平凡パンチ』の編集者が回想するもの。おのずと、当時の文化や政治についての概観にもなっている。それにしてもここには、すでに血のにおいや死の気配が濃厚に立ち込めている。

 ここで描かれているのは一九六九年一〇月二一日の国際反戦デーでの街頭での学生デモを、盾の会会員とともに変装して視察に行く三島なのだけれど、なんというか、法と暴力の見分けがつかない状況ってこれか、と思うようなところもある。新宿商店街店主たちが「法と秩序を守ろう」という鉢巻きを締めて学生らを袋小路に追い詰め、殴打する話など、法の名のもとに暴力が行使される機微をすくいとっている。ベンヤミンの『暴力批判論』というのも、わが国ではこういう政治的素地があったうえで読まれ始めたんじゃないか、と思うが、実際どうなのか。

 昨日暖かでさ、コーヒー屋さんに久々に行って、ウェルズの続きをやっつけるつもりだったんだ。でも、テーブルを占拠しておしゃべりしている一団がいて、原書は無理だな、と思って、リュックに放り込んであったこの本を。こういう時のために耳栓というのもこないだ買ったんだけど、持ってくのを忘れて、iPodtouchのイヤホンを耳に押し込む。で、WiFiが飛んでいるので、ラジオのアプリをつけてしばし没入した二時間。たまにまた来ようと思ってあとにした。

 

MOLDEX メテオ (モルデックス メテオ 8ペア)

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サイレンシア レギュラー

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3M 耳栓 クラシック(310-1001) 3101001
 

 


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