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和歌[やまとうた]は、人の心を種として、万[よろず]の言の葉とぞなれける。世の中にある人、事・業しげきものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地[あめつち]を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士[もののふ]の心をもなぐさむるは、歌なり。
ことばということばをもてあそぶのはけっこう危うくて、ともすれば甘ったるい決まり文句に堕してしまうし、数学的基準を第一とする理系学者からは、厳密なことばの学などありうるはずがないと嘲罵を浴びることさえある(と、むかしドイツで学位を取った古代インド語の大先生が言っていた)。
しかし、ことばには人心や事物すらをも動かす力がある。天地を動かし鬼神を泣かせるというのは古代のうたびとにのみ許されるものの言い方かもしれないが、非合理的なことを信じない現代人のあいだでも、ことばをもってじっさいの行為を行うことがままある。それがオースティンの言った発語内行為で、「明日、雨が降る方に千円かけるよ」というのは、何かの行為を描写しているのではなく、雨が降ったら千円あなたに払うよ、という資源配分そのものをおこなっているのだ。だいたい、物理的な音列に過ぎないひとのことばが、他のひとびとに対して、あるいは自らに対して約束なり説得なり強制なりのちからを持ってしまうということ自体が、考えれば考えるほど不思議だ。
学生の頃さぼったので本当に失敗したと思うのだが、法学の入門なども、こういう問題意識があれば、きっと面白く聞くことができただろう。ましてや、法と暴力の拮抗などといったことを考えるなら、ことばの力と無力というものを、一度はとことん考えることになる。
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これは去年の春買ったマイクロソフトのサーフェスで書いている。これをリュックに入れて研究滞在に出かけたのはうれしかった。で、以前から、デスクトップで使うとき、これに外部ディスプレイをつけてマルチ画面で作業している人たちがいるらしいことは知っていた。最近も、モニターを複数デスクに並べて、各国語の電子テクストや紙の本を見比べながら研究している人たちのことなど知って、うらやましくなった。でも、今年も、早くも予算超過気味で、4kディスプレイやドッキングステーションなど買う余裕はなし。がまん。
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