俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

Hong Kong Blues


Hoagy Carmichael - Hong Kong Blues (1944)

この『大学教授のように小説を読む方法』[…]という本をきのうたまたま読んでたんだけど、5章が「疑わしきはシェイクスピアと思え…」、6章が「…さもなければ聖書だ」となっている(笑)。つまり本を読んでいてなにか怪しいものが出てきたらシェイクスピアか聖書を踏まえていると思っていい、と学生たちに教えている。ということは、アメリカの学生も、聖書にそれほど詳しくないということですね。

 

はじめて読む聖書 (新潮新書)

はじめて読む聖書 (新潮新書)

 

 

 

聖書物語 (偕成社文庫 3033)

聖書物語 (偕成社文庫 3033)

 

 にわか勉強でわかるほど聖書は甘くはない。それはわかっている。しかし、今を逃せば、聖書のストーリーや、せめてエピソードだけでも頭に詰め込んでおく機会は、二度とないだろう。

 不眠の夜、ベタなぎのような静かな心持で、山室静『聖書物語』をくりかえし読む。

 子供が読む本だ。それはわかっている。しかし、これが読めなかった。新約の部分の3頁目くらいに、しおり代わりにレシートがはさんであった。その意味でこの本は、夢の残骸。二〇年くらい前だろうか。

 当時、博士論文を完成させることを強く期待されていて、自分でも、数年でそれを仕上げるつもりだった。しかしそのためには聖書学についてひととおりの、というかかなり専門的な知識を持っておくことがどうしても必要で、それが自分には欠けていた。当時インターネットもなく、大書店もない地方で、ただ、あせっていた。てっとり早く要点だけ教えてほしかった。だが『聖書物語』はそんな心持で読むべき本ではない。読めなかったのは当たり前だった。

 芸術学の専門家が、大学院生のころ、西洋美術を根底から理解するため、徹底的にキリスト教を勉強した、といった話、どこかで聞いた。ロシア文学の大家が、ネット上のキリスト教美術を見せながらドストエフスキーを講ずる授業が人気を集めている、と聞いたのも一六,七年前だろうか。ぼくの大学院生時代は諸事情でたった三年しかなかったし、ネットもなかったから、とてもそこまではいかなかった。

 ことしも、もう三月に入り、「あんたまだ読んでなかったのか」という本を、少しずつ、やっつけつつある。希望を持とう。

 

 

 

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