Lonely Tear Drops
ゲルツェンがイタリア語の勉強を始めたのは一八三四年八月、未決囚として収監されていた頃のことだった。彼が文法を一通り学び終えた後に読んだ最初の本は、当時ロシアでもポピュラーとなりつつあったペッリコの『獄中記』[…]であった。その後、流刑中にもイタリア語の本を手放すことはなく、特にダンテの『神曲』とレオパルディの詩集はゲルツェンの終生変わらぬ座右の書となった。
どうもこういう箇所ばかり気になるなあ。
われわれはヨーロッパ的な多言語状況には無縁な島国の村人だし、亡命なんて、字面として知っているだけで、体験としてはちっともわからない。だから、エキゾチシズムとしてイタリア語にあこがれることはあっても、政治的生活の一環として獄中でイタリア語をものにするなぞ、とうてい実感としてわからない。で、これが19世紀の亡命ロシア人思想家の知的生活の重要な一部をなしているというのだから、ロシア語と、せいぜい英語だけ専心にやっているぼくらに、彼らの思想は理解可能なのだろうか。
いや、「ぼくら」とは書いたけれど、これはあくまで個人的感想として記しておくわけでさ。ぼくはこの道に入るのが遅かったせいで、他の外国語をやる余裕がなかった。あったかもしれないが、ものにならなかった。外国語大学では入学時に、最低三つ外国語をものにせよと学長先生が式辞で述べると伝聞で聞いたけれど、そういう環境に早くからいないと、やはり難しいのだよな。
いや、これ以上述べると、せっかく与えられた教育の機会を、不当に非難することになってしまう。与えられたものを不当に非難することを「愚痴」と言って、ぼくはつねづねこの点に注意が必要なんだわな。
テレビは新調したけれど、やはり老母とチャンネル争い、というか譲り合いみたいなことが起きる。テレビは老母の唯一の娯楽だから、CNNつけっぱなしというのはやはりできない。そこで、昨夜から今朝にかけて番組を録画しておいて、早朝まとめてがっつりと観た。こうやってまとめて観ればいいんだな。