あの頃
時間、というものの不思議さ。それは時間論と銘打った書物より、三浦雅士『私という現象』などによく描かれているのではないか。わたくしというこの自己同一性は三次元上の点であると同時に、絶えず推移しつつある時間の先端に位置し、1980年のあの自分は、もう自分ではないような気がするのだが、「わたくしの」過去には違いないのだ。しかしそれがまるでもう他人のことのように思えるのは、それがわたくしの「過去」だからだろう。
しかしこの論法、どこで聞いたか。最初の学生時代、哲学の講義は3,4回出て単位だけもらった状態で、たしか受けるだけ受けた試験のなかにこんなくだりがあったのだったか。ほんと、ダメ学生だった、あの頃。
けさ、夢の中で、大学院のときいっしょだった女子の院生のだれかと、歌謡曲に合わせてフォークダンスしていた。夢を見ているあいだ、いっとき、何年も経験したことのない至福を感じた。四時半にハッと目覚めて、茶の間でCNN観て、あとはいつもと変わらぬ一日。晩になる頃には、早朝のリチャード・クエストの経済ニュースでさえ、まるで遠い昔のことのようだ。
あの頃。なんと甘美で魅惑的な言葉だろう。しかし時間は不可逆的で、タイムトラベルはSFないし幻想小説の中でのみあり得るものなので、「もし戻れたら」とは、考えても仕方ない。なので、できるだけ考えないようにしている。