俺にはブルーズを歌う権利なんかない

どこにも所属を持たず仕事/勉強/読書を続けています。2008年、音楽についてメモ代わりに書くためにこのブログを始めました。

たそがれマイ・ラブ

 

トキワ荘の青春 [DVD]

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トキワ荘の青春―ぼくの漫画修行時代 (講談社文庫)

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トキワ荘実録―手塚治虫と漫画家たちの青春 (小学館文庫)

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 今週、テレビ一式を新調。

 今まではチューナーひとつしか入っていないDVDデッキを地デジに対応していないTVにつないでいたので、老母がTVを見ているときは、観たい番組があっても、あきらめるしかなかった。今度からはTVのチューナーのほかに、ブルーレイデッキに二つのチューナー。決してテレビ中心の生活はしていないつもりだが、うんと便利になる。

 だけでなく、ネットワークを構築すると、タブレットでTVが観られる。オンタイムでも観られるし、録画も観られる(ただ、CNNはそれができない。録画は観られるが、タブレットでは主音声の同時通訳がじゃま。切り替えできない)。

 で、けさは三時ころから本を読んでいたんだけれど、七時ごろ、疲れて布団にもどって、映画『トキワ荘の青春』を、タブレットで観た。映画はほとんど観ないが、これは気になり昨日録画。ずいぶん以前、まだVHSの時代に、レンタル屋で借りたことがあるんだ。が、ほとんど内容を覚えていなかった。マンガ家の卵が多く集った、伝説のアパートを舞台にしていたと、覚えているのはそれだけ。

 いや、一か所だけ鮮明に覚えている箇所があった。本木雅弘演ずる寺田ヒロオが、つげ義春に「…って必要なのかな…」と、彼の作風に疑問を呈するところ。ここだけ鮮明に覚えていた。つげ義春が「もう来ないよ」と立ち去るシーンも、鮮明に脳裏に焼き付いていた。

 ただ、「何が」必要?と問いかけたのかは、間違えて覚えていた。ずっとぼくはこれは「マンガに諧謔味って必要なのかな?」という問いだったと記憶していたが、今日見たら寺田は、「自分の傷を見せること」って必要なのかな? と「つげくん」に問いかけているのだった。

 これはよく考えたら、まったく別の記憶と混同していたのだ。同じころ(16,7年前?)、知人と音楽のことで変な言い合いになって、ふだん無口で、めったなことでは熱くなったりしないその人が、めずらしく「音楽に…諧謔味って…必要なのかな」とあくまで譲らなかったことがあった。くわしく書いても仕方ないけれど、その人はぼくの生まれる前から音楽を聴いていて、フリージャズにめちゃくちゃ詳しく、その一方で、あとになって知ったのだけれど、店を閉めてから深夜はロシアのオペラとかピアノ協奏曲とかを聴いているという、底知れない学識(楽識?)の持ち主だった。その人が思いがけず、どうしても現代音楽はわからない、好きになれない、と言い張るのだった。

 そのときぼくは、現代音楽における無調や十二音階と、ジャズにおけるフリーフォーム(いわゆるフリージャズ)とは、まんざら無関係でもないが、本質においてかなり違う、ということを学んだのだった。その人が、どうしても解せないという風に使っていた「諧謔味」という語が、やけに記憶に焼き付いた。

 それにしても、「…って、必要なのかな」という問いかけが、あまりにも相似だった。それでこんな記憶違いが起ったのだろうと思う。演ずる本木雅弘の寡黙な誠実さも、その一因だったろうか。

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 一日早くカレンダーをめくり、だいぶ気分が変わる。毎度のことではあるけれど、一月は長いよ。二月の暦を眺めて、これを越せば三月じゃないか、実はもう春は来はじめてるんだよなあ…と、そればかり考えるが、明日も寒いだろうな。

 


大橋純子 カバー - 「たそがれマイ・ラブ」 英語版